甲午(一六五四)春、從武林・菰城・而入靈峰、屈指帀一歳中、大半禁絶應酬。唯今(同年)春、筆墨汗漫、而存稿十不及三。旣臥藏堂、偶一簡視、而満四十紙。(宗論六ノ四巻二二頁)
これは彼が五十六歳に述作した「幻遊雑集自序」に明記されているものである。これによるとその年の春に残されていたのは僅か十分の三⿀ けで、十分の七以上はすでに紛失していることがわかる。したがって現存の『宗論』に収録されている数量は、智旭の釈論以外の著作⿀®すべてとはいえないことが明らかであろう。
1 宗論巻首一五頁
三 宗論所録文献の成立年代
編次年代について
『宗論』所収の二十八類の中において、年代推定がほとんど絶望的なのは九類、