明末中國佛教の研究 328

「詩偶」類に九篇と、総計十九篇に及ぶ著作が、『宗論』の中に収録されていないのである。さらに、『絶餘編』に輯録されている「山居篇」の詩偈は百八首であるが、『宗論』に収録されているのは僅か六十二首である。これは智旭三十八歳の春の後から四十歳の秋までの二年半の間の著作についてのことであり、もし『絶餘編』を例として、智旭の一生の著作の数量を推論すると、現存『宗論』以外に散佚したものはかなりあるものと思われる。このことについて、智旭自身も次のように記述している。

甲午(一六五四)春、從武林・菰城・而入靈峰、屈指帀一歳中、大半禁絶應酬。唯今(同年)春、筆墨汗漫、而存稿十不及三。旣臥藏堂、偶一簡視、而満四十紙。(宗論六ノ四巻二二頁)

これは彼が五十六歳に述作した「幻遊雑集自序」に明記されているものである。これによるとその年の春に残されていたのは僅か十分の三⿀ けで、十分の七以上はすでに紛失していることがわかる。したがって現存の『宗論』に収録されている数量は、智旭の釈論以外の著作⿀®すべてとはいえないことが明らかであろう。

1 宗論巻首一五頁

三 宗論所録文献の成立年代

編次年代について


『宗論』所収の二十八類の中において、年代推定がほとんど絶望的なのは九類、