明末中國佛教の研究 86


この図によって智旭の依拠するところは、『梵網經』・『涅槃經』・『大悲咒』・『首楞嚴咒』等が中心であり、ことに四明知礼(九六〇-一〇二八)の『大悲懺』を実践していることが知られる。これに述べられている祖師僧と彼三十二歳の資料に見られる祖師僧とを比べると、前者には摩騰・竺法蘭・法顯・慧遠・康僧會・達磨・智者・玄奘・澄觀・永明の十名が加わっている。実にこの十人は、彼が三十二歳の時に述べている「翻訳と受持の諸大師」のことである。当時の智旭は、すでに律蔵を三度閲読していたと言れるが(3)、大蔵経に関しては、ただ千巻余り閲していたにすぎない(4)。智旭自身の仏教思想も、まだ完成されたものではなく、諸宗統一への途次であると言うべきである。ことに彼の研究対象となった人物は、東来伝法の人、西遊求法の人、浄土・禅・天台・法相・華厳等各宗の創立者および諸宗融和の鼓吹者(永明)であった。彼はそのうち華厳宗の三祖法蔵をとらず(5)、四祖澄観を華厳の代表者としている。

「十八祖像賛並序略(6)」


これは、智旭が十八名の祖師僧について評賛したものである。ここでのまた表によってこれら十八名の祖師と評賛の内容を紹介してみたいと思う。
番次十八祖名智旭の評賛内容
1西土受仏嘱大迦葉尊者拈花領微旨、結集印真伝。三蔵急先務、舎利憑人天。閻浮第二師、裕後亦光明。
2西土持毘尼蔵優婆離尊者戒是仏真身、律是僧父母、正法賴此存、人天均恃怙。
3西土伝持法蔵阿難陀尊者除病不除法、点鉄便成金。如此生盲類、捨此復他尋。離經堕魔説、執石強作琛。楞伽・金剛印・祖意良可欽。
4初来東土迦葉摩騰尊者堂々震旦境、久已蒙仏影。猶俟千年余、正法乃朝炳。