6
- 海限奨薄の「昆尼珍敬録抜」(一六三三年作成)に、「素華旭公」とある。\卍続六一巻三二二頁B
- 帰一受等の『毘尼事義集要跋』(一六三〇年作成)に、「素見旭師」とある。\卍続六三巻一六五頁B
- 銭謙益撰『楞厳経疏解蒙鈔』(一六五七年作成)巻首の一に、「蕅益素華法師智旭」とある。\卍続二一巻四三頁D
- 高佑鉢撰『八十八祖遺影伝賛後』(一六四四年作成)に、「霊
峰素華法師」とある。\卍続一四七巻四九八頁B
7
- 「八不適人伝」。\宗論巻首一貫
- 「自像賛」の十七。\宗論九ノ四巻二〇頁
8 宗論巻首一頁
9 「自像賛」の十七に、「只因没有的確師承、到底只是個八不就」といわれている。\宗論九ノ四巻二〇頁
第三節 智旭事蹟の地理的研究
一 智旭事蹟の地域的分布
智旭の生涯において、出生地から入滅の処まで、凡そ五十六年の間に遊歴した地理区域ほ、ほとんどが揚子江以南の範囲である。その中でとくに主要な活動地区は南の福建省より北に向う浙江・江西・江蘇・安徽の五省である。理解し易いように、とりあえず次の表で智旭が遊歴した地名。年代とそれらに関連する記事を紹介したいと思う。