明末中國佛教の研究 145

その四箇所の例(6)によって見れば、「素華」とは智旭の法号であると判断できる。ために、智旭の全称は、「霊峰蕅益素華智旭」というべきであろう。

八不道人  これは智旭晩年の号であり、彼の述作中に見られる「八不」という号は、僅か二回だけである(7)。その意味は、「八不道人伝」の脚註によると「取中論八不、梵網八不之旨」(8)ということが述べられている。しかし、智旭の記している八不は、これとはまた別の内容を持つものであり、これら三種の八不の内容を羅列して述べれば次のように、

『中論』の八不― 不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不来・不出。

『梵網経』の八不― 不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去。

「八不道人伝」の八不― 古者有儒・有禅・有律・有教・蹴然不敢。今亦有儒・有禅・有律・有教・艴然不屑。となる。いわば智旭としては、古代の儒教者、参禅者・持律者・闡教者のような立派な人物には及ばないが、また一方近世の乱れた儒教者・参禅者・持律者・闡教者のようにはなりたくないとしたのである。そして、彼は古代のような儒者・禅者・律者・教者でもなく、近世のような儒者・禅者・律者・教者でもないと考え、遂に自ら「八不道人」と号したのであろう(9)。

1 「八不道人伝」。\宗論巻首一頁

2 宗論一ノ一巻一頁

3 宗論巻首二頁

4 「自像賛」の二十五に、「頼有一串数珠。却是生平秘訣、所以喚 作蕅益」と説明している。\宗論九ノ四巻二三頁

5 現存宗論巻六の四にある「西有寱餘自序」には、この一節の文はないが、守脱大宝(一八〇四ー一八八四)撰『教観綱宗釈義会本講述』の巻首には、これを引用されている。