明末中國佛教の研究 1f02

すなわち五十一種二百二十八巻のすべてに渉って閲読精査し、以て遺漏無きを期し、論文の執筆に備えた。 かくして出来上ったのが、本書の草案であり、立正大学大学院に提出して一九七五(昭和五〇年)春、文学博士の学位が授けられた。 驚くべき努力であり、従来に見られない準備と調査である。

さて張博士の博捜の結果によれば、従来の通説のように、智旭を単に天台の学者と評することは、必ずしも妥当の言ではない。 勿論天台宗の教観を重視してはいるが、思想の根幹をなすものは、法華経では無くて、むしろ大仏頂首楞厳経である。そして実践に於ては梵網経を中心とする戒律主義であり、信仰行為に於ては地蔵菩薩本願経及び占察善悪業報経に依従する者であることが明らかとなった。 要するに智旭は自ら主張しているように、楞厳経中心の禅者というべきである。

このように博士は智旭の著作を総合的に研究して学界従来の評定を正したばかりでなく、蕅益を明末における不出世の仏教の集大成者、真摯にして克励な実践家と見る立場から、その時代の背景、生涯の行蔵、師資の系統、生活の環境等についても、深く調査の筆を及ぼし、あらゆる方面から、智旭の姿を浮き彫りにすることに努めた。 彼の著作の全般にわたって書誌学的検討を行ない、その思想の年齢的発展を論じ、結局最終的に浄土の念仏に到達した次第を明らかにしたのも亦、同じ目的からである。

かような次第で張博士の本書は、独り智旭の事蹟と思想を初めて徹底的に闡明したばかりでなく、未だ研究の行き届かない近世中国仏教史に、巨大な光を投じた力作である。 まさしく学界に推薦せられて然るべき優秀な著述と思う。