明末中國佛教の研究 355

第五章 智旭思想の形成と展開

第一節 青年期(十二歳ー三十歳)における智旭の思想

一 楞厳経を中心とする禅と浄土思想


智旭の生涯を思想面から区分すると、大体四期に分けられる。すなわち変化の多い青年期(十二歳ー三十歳)、思想成長期ともいうべき壮年前期(三十一歳ー三十九歳)、思想が成熟した壮年後期(四十歳ー四十九歳)、思想が大成した晩年期(五十歳以降)である。

智旭は二十歳の年に、『地蔵本願経』を聞いて、出世の心をおこし、二十一歳の時『慈悲懺法』を書写することによって、人生の苦難の因である罪報を感受した。このとき持戒の思想が始めてあらわれたのである(1)。そして、性相融会の中心思想は、二十三・四歳の二年間に『大仏頂首楞厳経』や『成唯識論』を聴講したことにより萌芽したのであり、それ以後、彼は一生をかけて戒律復興運動並びに性相融会に全力をあげたのである。この期の体験は、智旭思想の種苗になってはいるが、その成長発展と開花は後を待たねばならない。智旭のあゆんだ道に沿って論述すれば、三十歳までは、儒教から三教混合式の仏教(2)へ、