彼の文献からはその孤独感を汲みとることができよう。次の五箇所はそのよい例であろう。
- 「丙戍春幻遊石城随縁閲蔵」の詩偈に、
千年學脈憑誰寄、萬古愁懐祇自知。(宗論一〇ノ三巻一一頁)
- 「庚寅自恣」の詩偈に、
半世孤燈歎。(宗論一〇ノ四巻二頁)
- 「癸巳元旦過秋曙拈花庵」の詩偈に、
五十餘年夢幻身、寥々斯世久無鄰。(宗論一〇ノ四巻五頁)
- 「坐狎浪楼」の詩偈に、
法門寥落少知音、偶與維摩論古今。(宗論一〇ノ四巻一〇頁)
- 「独坐書懐」の詩偈に、
半世傾腸腑、寥々有幾知。庶幾二三子、慰我半生思。(宗論一〇ノ四巻一五頁)
これらからも知られるように、智旭と同時代に仏教学者が少なく、智旭と同程度の学殖をもつ学者は全くいなかったからである。まして、智旭の強い批判的論調に対して、反感をもつ人も少なくなかったであろう(4)。「半世孤燈」とは、恐らく、彼の三十五歳以前の段階には盟友と弟子がいたが、その後、早期の盟友と弟子は、相い次いで亡くなり、あるいは離れてしまったことをいうのであろう。しかし、彼は四十三歳以降、仏法について論議し研究する相手は、僧侶ではなく、郭大爵・張中柱・張興公・唐宜之・銭謙益など極く少数の居士であったから、「偶与維摩論古今」とは、このことを指していると思われる。