明末中國佛教の研究 421

彼の文献からはその孤独感を汲みとることができよう。次の五箇所はそのよい例であろう。

これらからも知られるように、智旭と同時代に仏教学者が少なく、智旭と同程度の学殖をもつ学者は全くいなかったからである。まして、智旭の強い批判的論調に対して、反感をもつ人も少なくなかったであろう(4)。「半世孤燈」とは、恐らく、彼の三十五歳以前の段階には盟友と弟子がいたが、その後、早期の盟友と弟子は、相い次いで亡くなり、あるいは離れてしまったことをいうのであろう。しかし、彼は四十三歳以降、仏法について論議し研究する相手は、僧侶ではなく、郭大爵・張中柱・張興公・唐宜之・銭謙益など極く少数の居士であったから、「偶与維摩論古今」とは、このことを指していると思われる。