智旭の「合刻弥陀金剛二経序」に見えるところでは、釈尊の一代経教のうち、大乗について言えば、『華厳』をはじめ、『宝積』・『大集』・『般若』・乃至『法華経』まで、すべて導いて阿弥陀仏の極楽浄土に帰すると主張している(15)。そして、浄土教の念仏法門は、最高の法門であり、念仏はすなわち禅観であり(16)、すなわち無上の深妙禅定であり(17)、さらに、念仏は一切の禅・教・律を越える法門で、また一切の禅・教・律を統摂する法門であるという(18)。 ために智旭は、憨山徳清の抑禅宗揚浄土の文句を引述し、また、永明延寿のいう「有禅無浄土、十人九錯路」の見解を修正して、「奚止十人九錯、敢保十一個錯」と強調した(19)。いわば、浄土教の念仏法門に従わなければ、たとえ禅観の修行があっても、絶対に無駄なことであるというのである。実際は明末の仏教界において、浄土の念仏を尊重するのは、一般的な常識であった。

明末仏教界の代表的な人物を数えるに、彭希涑の『浄土聖賢録』に収める明末の念仏僧は、象先真清・幽渓伝燈・雲棲祩宏・憨山徳清・藕益智旭・新伊大真・見月読体・堅密成時等合計三十人がある。ただし、念仏思想に関する著作が無ければ、たとえ念仏行をしていても、その名はこの『浄土聖賢録』には収録されていないのである。かようなわけで、いわば明末の仏教は、実に浄土教中心の仏教であるといってもよいと思う。

腐敗の瑜伽僧


習瑜伽者・営福業者・雲遊賊住者・農事耕作者の四類に関する智旭の評言によれば、もっとも批判されるべきは瑜伽僧であるという。明初の洪武二十四年(20)(一三九一)より、明末の智旭時代にかけて、この瑜伽僧の仏教社会における問題は、いまだ解決していない。智旭に責斥される「戯習」とか、「禁儀」違反とか、「穢雑不堪」とか、「同児豎戯」とか、「優倡」等という状態(21)を考えると、その腐敗の程度と深刻性は想像できるのである。