智旭における理想の念仏者
さきに述べたように浄土教の念仏は、当時、すべての仏教者に共通しだ修行の方法である。これは北宋の永明延寿(九〇四ー九七五)の『神棲安養賦』に、「有禅有浄土、猶如戴角虎」ということが創唱されたことにより、当時殆んどの禅者が浄土教の念仏を行つたのは事実である。ことに、中国における唐末以降の仏教は、禅宗の基盤の上に築かれるので、『浄土聖賢録』に収録された禅者の事蹟は、もちろん多かったが、律学者・天台学者・華厳学者で、浄土の念仏を実践しないものは滅多になかった。
智旭の文献に現われた当時の仏教界は、ある者は、年少の時には宜しく教典を習い、年衰の時には念仏することの急要を主張しており(11)、また、ある者は、利根のものには参禅せしめ、愚鈍のものには念仏をさせるべきだと主張している(12)。しかし、智旭はこれらの見解に対して賛成しない。彼は禅・教・律の一致論に基づいて、禅・浄不二(13)の思想を宣揚した。特に彼は永明延寿の主張(14)を服膺しているので、浄土念仏の行を坐禅の行の上に位せしめた。