明末中國佛教の研究 84

「閲律礼職総別ニ疏」


この文献中に、次のような叙述がある。

優波離大師、迦葉・阿難尊者、及翻譯受持諸大師。供達観可大師、報刊行大藏・重振僧風之徳。蓮池宏和筒、報遺規私淑之恩。憨山清師祖、報初縁發心・夢中攝受之徳。雪嶺峻師、報剃度之恩。古徳賢法師、報證明學戒之徳。無異艤禪師、報勧讃付梓之縁。(宗論一ノ一巻一五頁)

これは智旭の三十三歳の折に著したもので、その頃彼は、とくに戒律学に力を注いでいた時であるため、この資料に挙げた人名も戒律関係の人々が中心である。普通は釈尊の三大弟子の順序を迦葉・阿難・優波離(禅宗の場合)とするのに、ここでは優波離を先にして、戒律学に対する尊敬を表わしている。また、引用文中の達観真可(一五四三ー一六〇三)の「重振僧風」も戒律を指し、蓮池祩宏(一五三五―一六一五)のいう「遺規」も比丘戒のことである。智旭は二十五歳の冬、州杭の雲棲寺で、古徳賢法師を阿闍黎として、祩宏の像の前で四分比丘戒本を頂受するわけであるが、智旭の剃髪の師である雪嶺峻師は、憨山徳清(一五四六ー一六二三)の直弟子であり、彼もまた律に関係する人物である。なお、智旭は三十三歳に『毘尼事義集要』八巻を作成し、博山大艤無異禅師(一五七五ー一六三〇)の助言によって出版したのであるが、これもまた戒律高揚を主旨とするものである。

「礼大悲懺願文(2)」


これは智旭三十四歳時の文献であって、その中で、彼が崇拝した三宝の内容を語っているが、これを表によって説明すれば、次の如くである。
仏堂法寶僧寶
菩薩僧祖師僧
盧舍那仏梵網經觀世音菩薩摩訶迦葉