第二章 智旭の生涯
第一節 智旭の人的系譜
一 智旭の師承関係資料
智旭にとって師と思われる人物は、彼と同時代の周囲には直接見出すことができない。彼の師承関係は中国の長い仏教史上において捜索すべきであると思う。確かに智旭自身にもその傾向が認められる。なぜなら、智旭の主張したものは、一宗一派に執着する宗派仏教ではなく、諸宗融和の統一仏教の局面を完成せんとしたのであるから、宗派執着の色彩があれば、智旭の師とする可能性は得られなくなるのである。
智旭の諸宗融和の思想は、おそらく彼が、二十四歳の時、古徳法師の「性相の二宗は、和会を許さず」(1)という答えを聞くに及んで、仏法はすべて相通相融するはずで、矛盾するのは、人為の知見執着にすぎないと断定した時に、その淵源をもつものと思われる。各宗の差別見解は、古来よりあり、そこで智旭は各宗のそれぞれ優れた祖師の中から、尊敬すペき人物を選んで彼の崇拝あるいは私淑の対象としていったと思われる。智旭の著述に、彼の尊敬する祖師らの名を求めると、編年順に次のような四つの資料が挙げられる。