識一書、本是破二執神剣、反流為名相之學。 |
華厳 | 法蔵 | 六四三-七一二 | 賢首法蔵国師、得武后為門徒、聞名籍甚。疏晉訳華厳経、経既未備、疏亦草略、故不復伝。所傳起信論疏、浅陋支離、甚失馬鳴大師宗旨、殊不足觀。 |
李通玄 | 六三五-七三〇 | 方山李長者、有新華厳経論、頗得大綱。 |
澄觀 | 七三八-八三九 | 清凉観国師、復出疏鈔。綱目並挙、可謂登雑華之堂矣。後世緇素、往往独喜方山、大抵是心粗気浮故耳。不知清凉雖遙嗣賢首、実青出於藍也。 |
宗密 | 七八〇-八四一 | 圭峰、則是荷沢知見宗徒、支離矛盾、安能光顕清凉之道。 |
右表を祥細に検討すると、智旭の宗派分類法は、恐らく永明延寿の『宗鏡録』の影響によるところが多いと思われる。すなわち、全ての中国仏教を、宗と教との二分類に分かつのである。宗とは禅宗の五派七流であり、教とは天台・法相・華厳の三宗を指す。しかも、これらの宗と教とは、共に浄土信仰に帰着すべきなのであり、→切法門の目標であるから、智旭は浄土教を最上であるという前提のもとに全仏教を取り扱った。また、『十八祖像賛』に列名した密教初祖の金剛智を見捨てていることほ、恐らく『宗鏡録』において、密教のことに触れていないことによるのであろう。 さて、以上の表に紹介した三十二名の人名と彼らの思想に対する智旭の評論は、非常に重要な点であるので、以下に抄述しようと思う。ただし、智顗・知礼・伝燈の名は、浄土と天台の両分野に見られ、梵埼も浄土と禅宗とに重ねて見えるので、実数は二十八名である。
- 性相各別の論争
二十八名の中、智旭が批評しているのは、天台宗の伝燈、法相宗の窺基、華厳宗の法蔵・李通玄・宗密等五人であり、一性相融会」と「大乗皆円」の観点に背いたものほ、一切無視しているのである。智旭が賛同しない著作は、伝燈の『楞厳経円通疏』、窺基の『法華玄賛』、法蔵の『起信論義記』、李通玄の『新華厳経論』、宗密の『盂蘭盆経疏』と『円覚経略疏註』等である。これは卽ち天台と華厳の性宗、唯識系の相宗、いわゆる性相二宗の矛盾に逢着したことによっている。
この性相二宗の問題については、すでにインド大乗仏教の如来蔵中心と阿頼耶識中心、あるいは中観派と瑜伽派との思想論争がある(10)が、これを受けて、当時中国の仏教界は、性宗と相宗の二流対立になっていたのである。性相二宗の相異の著しい点は、性宗が「一乗是実、三乗是権」と説き、相宗が「三乗是実、一乗是権」と説く点であり、前者は一乗家といわれ、後者は三乗家といわれる。仏性の有無において、一乗家は「一切衆生皆有仏性」を強調し、三乗家は五性各別説をもって「一分無性」と説く。天台宗は一乗家の代表者であり、法相宗の窺基の『法華玄賛』の理論は、「三乗是実」の代表である。これに対し、華厳宗の法蔵は、この「一乗是実」と「三乗是実」、または「一性皆成」と「五性各別」の二流の思想の矛盾を、五位教判において調和していた。五位教判とは、
- 小乗教―― 一切衆生にすべて大菩提心なし
- 大乗始教―― 五性差別し、一分有性にして、一分無性であり
- 大乗終教―― 一切衆生にみな仏性あり
- 大乗頓教―― 衆生の仏性、一味一相にして、有というべからず、無と説くべからず
- 大乗円教―― 衆生の仏性は、因を具し、果を具し、性あり、相あり
の五つをいうのである。法蔵はさらに次のように説く。すなわち小乗教を除いて、単に大乗といえば、『瑜伽師地論』等相宗の所説は、始教であり、『涅槃経』・『仏性論』・『起信論』等の所説は終教であり、『諸法無行経』の所説は頓教であり、ただ『華厳経』の性起品に説く如きもののみが円教であるという(11)。
ところが、智旭は、一切大乗経典を方等部経典と認め、方等経典は悉く円頓教に属すべきだと主張している(12)。したがって、窺基の「三乗是実、一乗是権」という説に対して、智旭はもちろん反対しているが、法蔵の五教判、すなわち『唯識論』を大乗立相始教、『中論』を大乗破相始教、『起信論』を大乗終教兼頓とする説に対しても、智旭はより一層反対している(13)。したがって、天台・法相・華厳の宗派を問わず、彼の大乗皆円の観点に相違する場合はすべて論難しているのである。
- 智旭に尊崇された人々
上述とは逆に、智旭が尊崇した人物とそれらの著述を挙げれば、次のようである。
まず、浄土教関係においては、慧遠の『法性論』(14)、智顗の『浄土十疑論』、飛錫の『念仏三昧宝王論』、惟則の『天如和尚浄土或問』、梵琦の『西齋浄土詩』、妙叶の『宝王三昧念仏直指』、伝燈の『浄土生無生論』、袁宏道の『西方合論』が認められるが、その中、慧遠の『法性論』を除いて、すべて智旭が選定した『浄土十要』に収められており、遵式の『往生浄土懺願儀』と『往生浄土決疑行願二門』もまたこれに収められている。さらに知礼の『観経疏妙宗鈔』は、この『儒釈宗伝竊議』中には見えないが、実際は智旭の最も推賞するものであった。雲棲祩宏は『弥陀疏鈔』を著しているが、彼の念仏参究説に対しては、智旭はあまり賛成していない(15)。しかし、彼が浄土教を極端に主張するのもまた事実である。憨山徳清は浄土教関係の専門著作はないが、禅者の身分で懸命に念仏の行をした人である。
ついで、禅宗関係に対しては、智旭は、達磨・慧能・梵琦・真可・慧経についてたびたび論述している。けれども、その他の禅宗史上有名な禅宗祖師に対して、敬意を払っているところは甚だ少ない。
第三に、天台宗関係においては、。慧文・慧思・智顗・湛然・知礼・真覚・伝燈の七人を挙げている。そのうち智旭に最も重視されているものは、慧思の『大乗止観法門』である。智者大師の著述から彼が習得したものは、五重玄義にみられる註経方法・五時八教という教判原則・並びに一念三千という教学理論である。また、湛然から伝承したものは、『十不二門』であるが、ことにその中の「性修不二」の説は、智旭の著作によく引用され、活用されている。さらに、知礼から受けたものは、天台教学よりむしろ浄土思想である。また、真覚と伝燈の二人が智旭に如何なる影響を与えたのか、明確にはわからないけれども、影響していないともいい切れない。それは、伝燈の『生無生論』と『阿弥陀経略解円中鈔』の二書に対して、智旭は少なからず好感をもっていることが窺われるからである。
最後に、法相宗と華厳宗関係においては、彼が掲げているのは各々一人のみである。すなわち、法相宗の玄奘および華厳宗の澄観である。ここで気がつくのは、窺基の五性各別と三乗是実の説は、本来玄奘が訳出した論書によるものであるのに、智旭は玄奘を許容して窺基を非難していることである。玄奘訳の『成唯識論』と澄観の『華厳疏鈔』に対する智旭の見解は、性相融会の目標を達成するための過渡的段階であるというにある。すなわち華厳と法相との歴史的関係は深く、これを通過して、始めて性相融会の理想境へと至るとするのである。
ここで「儒釈宗伝竊議」をさきの「十八祖像賛」と比較してみると、性質の異なることが明白である。「像賛」の場合は、仏教史上のできごとによって、一事一人の代表を選出することで、「竊議」の場合は、各宗の思想家に対して、選出および評論することである。けれどもこの両者をあわせて考察すると、智旭の師承関係の思想源流を把握する手がかりが得られるであろう。