明末中國佛教の研究 92

識一書、本是破二執神剣、反流為名相之學。
華厳法蔵六四三-七一二賢首法蔵国師、得武后為門徒、聞名籍甚。疏晉訳華厳経、経既未備、疏亦草略、故不復伝。所傳起信論疏、浅陋支離、甚失馬鳴大師宗旨、殊不足觀。
李通玄六三五-七三〇方山李長者、有新華厳経論、頗得大綱。
澄觀七三八-八三九清凉観国師、復出疏鈔。綱目並挙、可謂登雑華之堂矣。後世緇素、往往独喜方山、大抵是心粗気浮故耳。不知清凉雖遙嗣賢首、実青出於藍也。
宗密七八〇-八四一圭峰、則是荷沢知見宗徒、支離矛盾、安能光顕清凉之道。

右表を祥細に検討すると、智旭の宗派分類法は、恐らく永明延寿の『宗鏡録』の影響によるところが多いと思われる。すなわち、全ての中国仏教を、宗と教との二分類に分かつのである。宗とは禅宗の五派七流であり、教とは天台・法相・華厳の三宗を指す。しかも、これらの宗と教とは、共に浄土信仰に帰着すべきなのであり、→切法門の目標であるから、智旭は浄土教を最上であるという前提のもとに全仏教を取り扱った。また、『十八祖像賛』に列名した密教初祖の金剛智を見捨てていることほ、恐らく『宗鏡録』において、密教のことに触れていないことによるのであろう。 さて、以上の表に紹介した三十二名の人名と彼らの思想に対する智旭の評論は、非常に重要な点であるので、以下に抄述しようと思う。ただし、智顗・知礼・伝燈の名は、浄土と天台の両分野に見られ、梵埼も浄土と禅宗とに重ねて見えるので、実数は二十八名である。