明末中國佛教の研究 96


1 「八不道人伝」参照。\宗論巻首二頁

2 宗論一ノ二巻八頁

3 「退戒縁起並嘱語」参照。\宗論六ノ一巻五頁

4 「閲蔵畢願文」。\宗論一ノ四巻一二頁

5 「大乗起信論裂網疏序」において智旭は法蔵の教判思想に対する激しい反撥している。\大正四四巻四二二頁B

6 宗論九ノ四巻四ー一六頁

7 宗論九ノ四巻五頁

8 『憨山大師夢遊全集』巻三十四。\卍続一二七巻三五四頁Aー三五六頁C。

9 宗論五ノ三巻一六ー一八頁

10 『華厳経疏』巻二に、「第二叙西域者、卽今性相二宗、元出彼方、故名西城。謂那蘭陀寺、同時有二大徳、一名戒賢、一名智光。」とある。\大正三五巻五一〇頁B

11 常盤大定の『仏性の研究』において、性相二宗の論諍と法蔵の性相統一に関して、簡略な論述がある。(昭和四十七年国書刊行会発行)

12 智旭の「合刻弥陀金剛二経序」に、「如来一代教法、除声聞蔵、余皆名大乗方等経典。」とある。(宗論六ノ四巻一六頁)この典拠は恐らく『涅槃経』巻七にある「一切衆生、悉有仏性者、九部経中所未曽聞」、「我於大乗大智海中、説有仏性、二乗之人所不知見、所謂大乗方等経典」ということである。(大正一二巻六四六頁A)

13 智旭の「大乗起信論裂網疏序」。(大正四四巻四二二頁B)智旭はこの賢首教判に対して、反感をもちながら、『成唯識論観心法要』・『金剛経破空論』・『起信論裂網疏』を相い次いで作成し、『唯識』は立相にあらず、『般若』は破相にあらず、大乗法門ならぱ、一切の二辺にあらず、全て円極一乗に属すべきであると強調している。

14 14 慧遠の『法性論』は現存していない。但し『東域伝燈録』巻下、『諸宗章疏録』第二に参考書目として記されている。

15 15 宗論三ノ一巻五ー六頁

二 智旭が私淑を表明した人

無常師・無偏師


中国仏教における僧侶の姓名は、東晋の道安の提唱によって、出家者は「釈」という姓を付けることが常例とされていたが、禅宗の法派字号が盛行してからは、道法伝承にかわって、