明末中國佛教の研究 102

日 本現存のものは、ただ智旭『霊峰宗論』巻八に収めている「爪髪衣鉢塔誌銘」および「爪髪衣鉢塔祭文」だけである。

15 宗論五ノ二巻一四頁

16 宗論九ノ四巻一三頁

三 智旭が尊敬を表明した人


智旭は、中国仏教の大統一者とならんとする使命感をもった立場にあったから、尊敬した人物は多いけれども、その大部分は条件を付した尊敬であると思われる。智旭の著述に見られる尊敬の人々に対する彼の論評点を年代順に、記述すると次のようになる。

廬山慧遠


廬山慧遠(三三四ー四一六)に対する論評は、彼が蓮社結成の始祖で、その念仏行の念仏三昧は、一切三昧中の最高の三昧であると讃許しており(1)、かつ慧遠は嘗って念仏の行によって、三度聖像を見たが、誰にもそれを伝え言わなかった。これは念仏者としての要訣である、ということに要約できる(2)。

菩提達磨


菩提達磨(?―五三六)に対する論評は、彼は直指人心のために、不立文字を立てた禅宗の初祖であるが、二祖慧可(四八七ー五九三)に法を授ける時、四巻本の『楞伽経』をもって心に印していた(3)。また達磨と慧可との間に行なわれた「安心」と「覓心了不可得」という伝説は、智旭の「現前一念心」という観心思想と極めて相応するので、これを高く評価し、智旭の著述にはこれをしばしば引用している(4)。

天台智顗


天台智者大師(五三八ー五七九)に対しては、次のように述べる。智顓は戒律に精通して、常に禅悦を楽み(5)、法華三昧に悟入し、彼の説いた『法華玄義』と『法華文句』は教正観傍であり、『摩訶止観』は、