明末中國佛教の研究 112

三十六歳の時に作った「礼金光明懺」の願文には、

奉為恩師某、供三寶、懺假稱悟道、妄評公案之罪。妄造懺法、謗毀先聖之罪。損尅大衆、錯因昧果之罪。諸如此罪、願悉消除。或不可除、願皆代受、令現前病苦、速得痊安。若大限莫逃、竟登安養。(宗論一ノ二巻一七頁)

という記載がある。文中の恩師とは、習慣から見ると、恐らく智旭の剃度者の雪嶺俊師であると思う。これを「寄雪嶺師」の内容と対照して見るならば、よく納得できるのである。とにかくこの剃度師は、「仮称悟道」の大妄語罪を犯して、なお「錯因昧果」・「損尅大衆」の盗罪をも犯す人で、学徳兼修の高僧とはいえないのであろう。

このように晩年の智旭は、湛明・戒宗・雪嶺・古徳の四人に対しては、たとえ実際上の師資関係にあったとしても、本当の意味での師承を受けたとは、認めなかったのである。

小結


以上に掲げた人々に対する智旭の論評は、見てきた如くであるが、智旭の師承関係について、要約していえば、全仏教の思想を統一しようとする願望に基づいて、それぞれの思想の当否、または優劣の点を明示し、そしてそれらの優点だけを摂取するのである。すなわち、

そして、戒律においては、祩宏に、法属としては、徳清に従う。さらに、性相融会、禅・教・律一致としては、延寿と真可の二人のみを尊敬しているのである。

1 「十八祖像賛」。\宗論九ノ四巻八頁

2 『起信論裂網疏』巻六。\大正四四巻四六三頁A