明末中國佛教の研究 119

これは大真が紹覚広承の『成唯識論音義』を受けてから、一段と進んでいたものである。

ところで、明末の唯識学者には、四系がある。これを示すと、

である。智旭は明末の唯識学者の一人であるが、この四系の中のどれにも属していない。いわば、第五系の唯識学者である。ところが、第四系の広承の弟子三人の中では、広承の『音義』について、大慧の『自考録』も、大基の『疏』も、いずれも広承の精髄を受けていないとみながら、ただ新伊大其の『合響』のみ、「力陳五観、詳示三支」をして、よく広承の遺志を継いでいると見ている。それ故、智旭には、大真に対して次のような讃詞がある。

師、童貞入道、爲紹公長子。性相二宗、無不克受其傳。服習毘尼、視紹公尤加馬。(「壽延書院新伊法師六十序」\宗論八ノ二巻一頁)

右のことから、新伊大真という人物は、対内的には、禅・教・律の三学兼重者であり、また性相融会論の賛助者であり、対外的には儒仏同源あるいは三教同源論の一人であるといえる。ことに智旭は、教観雙挙の立場から、一切の経論を見て、全て教観並運すべきであるという主張をしているので、