7 「割股救惺谷兄」の詩。\宗論一〇ノ一巻九頁

8 『鄞県志』に、「唐陳蔵器撰本草拾遺中言、人肉可療羸疾。世後孝子之割股療親、卽根拠其説。」とある。

9 「答唐宜之」の書簡に、「嗟呼、惺兄逝後、久不聞直諒之言矣。」とある。\宗論五ノ二巻一八頁

10 「復松渓法主」の書簡。\宗論五ノ二巻一三頁

11 「尚友録序」に、「能照我之短而奪我之守」とある。\宗論六ノ一巻一〇頁

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14 「楽如法姪四十寿語」。\宗論八ノ二巻八頁

15 「毘尼事義集要縁起」。\宗論六ノ一巻二頁

16 「為雪航檝公講律刺血書願文」。\宗論一ノ一巻七頁

17 「寄璧如兄」。\宗論五ノ一巻八頁

18 「璧如惺谷二友合伝」。\宗論八ノ一巻六頁

19 「毘尼事義集要縁起」。\宗論六ノ一巻二頁

20 『重治毘尼事義集要』巻首に、「庚午(一六三〇)春日、毘尼社弟幽渓後学受籌(帰一)敬跋」という『原跋』がある。\卍続六〇一巻一六五頁A―C

21 「誦帚師往生伝」。\宗論八ノ一巻一一頁

22 「璧如惺谷二友合伝」。\宗論八ノ一巻九頁

23 宗論八ノ一巻一一頁

24 「梵網経合註縁起」。\卍続六〇巻三一〇頁B

25 『大仏頂首楞厳経文句』後序に、「今(一六三九)夏弘法温陵、昉師及一切知己、堅請疏解、以発前人之所未発。」とある。\卍続二〇巻三八〇頁A

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28 現存卍続八二―八三巻

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30 『居士伝』巻四四瞿元立伝の王宇泰(肯堂)の附伝に生歿年代は未詳である。\卍続一四九巻四八〇頁C―D