明末中國佛教の研究 131

本寺を離れたところにある小さい寺院で ある。

14 宗論一ノ四巻一四頁

15 宗論巻首五ー六頁

16 ①宗論二ノ三巻八頁、②宗論二ノ五巻二頁

17 「示巨方」。\宗論二ノ五巻二ー三頁

18 「預祝乾明公六十寿序」。\宗論八ノ二巻一六頁

19 卍続二六巻一六五頁Dー一六六頁A

20 光緒十七年(一八九一)秋八月金陵刻経処出版。

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22 「性旦行状」は、宗論巻首の「附記」である。\宗論巻首又七頁。

23 『浄土十要』巻一。\卍続一〇八巻三二八頁A

24 同上。\卍続一〇八巻三四三頁AーB

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26 ①宗論八ノ二巻一六頁、②宗論一〇ノ四巻四頁

27 「起信論裂網疏跋」。\大正四四巻四六四頁B

28 宗論八ノ二巻一六頁

29 ①宗論二ノ三巻八頁、②宗論二ノ五巻二頁

30 宗論一ノ四巻一四頁

31 『浄土聖賢録』巻六の「成時」条。\卍続一三五巻一五三頁Cー一五四頁D

32 「宗論序説」に、「不肖戍子歳(一六四八)始晤大師」と成時が自ら語つている。\宗論巻首一五頁

33 『浄土聖賢録』巻六。\卍続一三五巻一三五頁C

34 智旭の自伝である『八不道人伝』は、彼五十四歳のときの作であるから、その後亡くなるまでの伝記は、 卽ち堅密成時撰する『続伝』である。

35 『西齋浄土詩述要』を参照。\卍続一〇八巻四〇九頁A

36 成時撰『続伝』には、彼が自ら「成時受恩最深、負恩最重」と述べている。\宗論巻首七頁