本寺を離れたところにある小さい寺院で
ある。
14 宗論一ノ四巻一四頁
15 宗論巻首五ー六頁
16 ①宗論二ノ三巻八頁、②宗論二ノ五巻二頁
17 「示巨方」。\宗論二ノ五巻二ー三頁
18 「預祝乾明公六十寿序」。\宗論八ノ二巻一六頁
19 卍続二六巻一六五頁Dー一六六頁A
20 光緒十七年(一八九一)秋八月金陵刻経処出版。
21
- 『海潮音文庫』の二『天台宗』の九ー一〇頁
- 釈慧嶽編著『天台教学史』三一八頁
22 「性旦行状」は、宗論巻首の「附記」である。\宗論巻首又七頁。
23 『浄土十要』巻一。\卍続一〇八巻三二八頁A
24 同上。\卍続一〇八巻三四三頁AーB
25
- 「送用晦兼寄堅密」。\宗論一〇ノ四巻四―五頁
- 「示用晦二則」。\宗論二ノ五巻一六ー一八頁
26 ①宗論八ノ二巻一六頁、②宗論一〇ノ四巻四頁
27 「起信論裂網疏跋」。\大正四四巻四六四頁B
28 宗論八ノ二巻一六頁
29 ①宗論二ノ三巻八頁、②宗論二ノ五巻二頁
30 宗論一ノ四巻一四頁
31 『浄土聖賢録』巻六の「成時」条。\卍続一三五巻一五三頁Cー一五四頁D
32 「宗論序説」に、「不肖戍子歳(一六四八)始晤大師」と成時が自ら語つている。\宗論巻首一五頁
33 『浄土聖賢録』巻六。\卍続一三五巻一三五頁C
34 智旭の自伝である『八不道人伝』は、彼五十四歳のときの作であるから、その後亡くなるまでの伝記は、 卽ち堅密成時撰する『続伝』である。
35 『西齋浄土詩述要』を参照。\卍続一〇八巻四〇九頁A
36 成時撰『続伝』には、彼が自ら「成時受恩最深、負恩最重」と述べている。\宗論巻首七頁