明末中國佛教の研究 140

この『年譜』は智旭の簡略な履歴書としてはよいのであるが、智旭の生涯における教学思想とその時代背景または社会環境との関係の解明ということに関しては、ほとんど役に立たない。

その他の資料


銭謙益(一五八二ー一六六四)撰、『楞厳経疏解蒙鈔』、順治十四年(一六五七) これは巻首の一に、ただ「蕅益素華法師」の『楞厳玄義』並びに『楞厳文句』に対する簡略な評価があるにすぎない(11)。

『八十八祖道影伝賛』の附録高佑鉢撰『敬書先公重編諸祖道影伝賛後』(12)(一六六四年) ここにみられる智旭に関する記事は、全く智旭の「儒釈宗伝竊議」の再現にすぎず、厳密にいえばこれも『霊峰宗論』の一部であるというべきであろう(13)。

蓮宗九祖説の一考察


『蕅益大師年譜』の著者である弘一演音は、かつて一九〇五年に日本の東京上野の美術専門学校に留学した。彼は中年で出家し、律僧としてもまた念仏僧としても有名な近代の高僧で、智旭の地蔵信仰と念仏思想に従う人々の中では、もっとも代表的な人物である(14)。それ故、智旭の『年譜』の第一頁の表には、「清蓮宗九祖非天台宗下智旭大師」と題した画像がついており、画像の下には「蓮宗九祖頌」がある。もちろん、この像と頌の作者は同一人物であり、その作者こそ弘一演音に外ならない。中で「非天台宗下」という説は、『蕅益年譜』にも指摘されており(15)、この点は注目すべきことであろう。つぎに弘一演音は、智旭を浄土教の蓮宗第九祖と認定しているが、実際には中国浄土教における祖師の安立説は、なかなか複雑である。すなわち、南宋の宗暁撰『楽邦文類』巻第三では、蓮社始祖と継祖の五大法師を掲げており、志磐の『仏祖統紀』(一二六九)巻第二十六には、蓮社七祖を提唱し、元代の優曇普度撰、『廬山蓮宗宝鑑』(一三〇五)には十二人の祖師を示している。また、