明末中國佛教の研究 15

聖賢の人格になることを目指すのは、学問の基礎であることをあらわしている。そして、宇宙の全体は、自分自身の内に含まれる。言い換えれば、自分自身は宇宙全体と等しいとするのである。よくいわれる陸九淵の人間思想のあらゆる枠を越え、四方上下の空間と往来古今の時間との距離をも越えているという立場は、『宋史』巻第四百三十四「儒林列伝」の四に、次のような名言をもって述べられている。

東海有聖人出焉、此心同也、此理同也。至西海・南海・北海有聖人出、亦莫不然。千百世之上、有聖人出焉、此心同也、此理同也。至於千百世之下、有聖人出、此心此理、亦無不同也。(台湾芸文印書館『宋史』影印本五二七七頁AーB)

これは仏教の非排斥主義を援用しているものと考えることができる。程伊川と朱晦庵の態度が、仏教の要諦を吸収して、逆に仏教を排斥したことに比べれば、むしろ陸象山の柔和な態度は、より仏教精神に近似しているので、智旭も彼の掲げる名言をしばしば援用している(2)。

1 朱子補『大学格物致知伝』参照。

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