明末中國佛教の研究 160

智旭の文献によって調べてみると、この龍居とは、聖寿寺の所在地、浙江嘉興府にある地名であると思われる。なぜならば、次の三つの文献内容は、竜居と聖寿寺とを一つの場所として指しており、かつその場所が浙江の杭県の近くにあることを表示しているからである。

この三つの文献が著わされたのは、全て智旭が三十歳の頃であり、しかも述べられている内容も同一の閲蔵ということである。それ故、竜居とは地名であり、聖寿寺はいうまでもなく竜居地方にある寺の名であることがわかる。この聖寿寺が嘉興府にあるということが知られるのは、『續燈正統』巻第四十一に、「嘉興府聖寿寺宣翁可観」(11)の伝記があるからである。

博山


大監毒山の『支那仏教史地図』によれば、山東省と江西省にいずれも「博山なる地名があるという。これによって考えるならば、智旭が参訪した無異禅師が住していた博山は、江西省の博山と思われる。すなわち、『永覚元賢禅師廣録』巻第十八、「博山無異大師衣鉢塔銘」に、

萬暦壬寅(一六〇三)夏、往信州鵞湖圓戒。鵞湖亦以元座屬焉。是冬、隠静於豐邑之博山。