- 「四書蕅益解自序」の
逮大病幾絶、歸臥九華、腐滓以為饌、糠粃以為糧。(宗論六ノ一巻二四頁) - 「自像賛」の十二の
九華静室、曽喫腐滓粃糠。(宗論九ノ四巻一九頁) - 「自像賛」の二十三の
年至三十八、大病為良薬、高臥九子峰、糠滓堪咀嚼。(宗論九ノ四巻二二頁)
からも知ることができる。この中の「腐滓」とは豆腐のかすであり、「糠粃」とは米ぬかである。豆腐のかすを干して、妙めて塩を振り、これをおかずにして飯を食べる。飯は米飯ではなく、米のぬかを極めて細かく麦粉のようにして飯に似せて、これを主食とするのである。このような厳しい自然環境と貧しい生活環境の中で暮した智旭の健康状態は、言うまでもなく非常に悪かった。これについて、彼の「山居六十二偈」は、
一病五百日、形神竝已枯。緇素偶相値、稱我鳥禪癯。(宗論一〇ノ二巻一頁)
と記している。年余の病気を得たため、体が痩せて枯れた柴のようになってしまい、たまに他人と出合うときは、みんなが彼を「禪癯」――痩せた禅者と呼びかけるのであった。ところが、このような苦しい暮しも、