次の三つの著作の中から録出してみたい。
- 「礼大悲銅殿」に、
我本仰承咒力生、我父夢中曾覺悟、我幼持齋甚嚴肅、夢感大士曾相召。(宗論一ノ一巻一二頁)
- 「與了因及一切緇素」に、
旭十二三時、因任道而謗三寶、此應堕無間、彌陀四十八願所不収。善根未殞、密承観音・地蔵二大士力、轉疑得信、轉邪歸正。(宗論五ノ二巻八ー九頁)
- 「化持滅定業真言一世界数荘厳地蔵聖像疏」に、
旭少習東魯、毎謗西乾、承觀言大士、感觸攝受。後聞地蔵本願尊経、始發大心、誓空九界。(宗論七ノ三巻一頁)
以上の資料にみれば、智旭は観音菩薩の咒力によって生まれ、観音菩薩は常に慈母の如く智旭の安全を守護し、夢にも顕現している。さらに、闢仏論を作っている中にあっても、観音菩薩の冥中の保護は、彼を離れていないと自覚している。仏教の解説では、謗三宝の罪の重さは、無間地獄に堕るはずであり、また阿弥陀仏の四十八願も、非常に慈悲広大ではあるが、三宝を毀謗する人に対しては、これを除外している。智旭の場合、彼の善根はまだ残っていたから、結局、観音と地蔵の二大菩薩は、彼に助けを賜わったとする。智旭における観音菩薩は生来の信仰で、また大悲救苦の菩提心の理念に基づく信仰であるが、地蔵菩薩は純粋に罪報感に基づく信仰であると思われる。よって、表面には観音と地蔵を平等な信仰位置において崇拝したけれども、智旭の胸中には、むしろ地蔵信仰の方がより大きな位置を占めていたものと推測される。
換言すれば「苦」の思想から、仏の大悲精神を人格化した観音菩薩が出現し、「罪悪」の思想から、