明末中國佛教の研究 188

次の三つの著作の中から録出してみたい。

以上の資料にみれば、智旭は観音菩薩の咒力によって生まれ、観音菩薩は常に慈母の如く智旭の安全を守護し、夢にも顕現している。さらに、闢仏論を作っている中にあっても、観音菩薩の冥中の保護は、彼を離れていないと自覚している。仏教の解説では、謗三宝の罪の重さは、無間地獄に堕るはずであり、また阿弥陀仏の四十八願も、非常に慈悲広大ではあるが、三宝を毀謗する人に対しては、これを除外している。智旭の場合、彼の善根はまだ残っていたから、結局、観音と地蔵の二大菩薩は、彼に助けを賜わったとする。智旭における観音菩薩は生来の信仰で、また大悲救苦の菩提心の理念に基づく信仰であるが、地蔵菩薩は純粋に罪報感に基づく信仰であると思われる。よって、表面には観音と地蔵を平等な信仰位置において崇拝したけれども、智旭の胸中には、むしろ地蔵信仰の方がより大きな位置を占めていたものと推測される。

換言すれば「苦」の思想から、仏の大悲精神を人格化した観音菩薩が出現し、「罪悪」の思想から、