皆有仏性の如来蔵思想の段階を経て、さらに一歩を進めた一切衆生の罪を許す要求を人格化した地蔵菩薩が出現したものとも言い得よう。「苦」の思想は、仏教の根本精神である故、救苦の大悲思想を人格化した観音菩薩は、初期大乗経典の中に、すでに現われている。このことからみても小乗仏教の自求脱苦の解脱道より、大乗仏教の衆生救済の菩薩道へ進展したことは明らかといえる。
罪悪思想については、小乗仏教の律部、『大毘婆沙論』巻第百十六、『倶舎論』巻第十八などにすでに記載されているが、「苦」の思想と比較するならば、副次的であるというべきであろう。そして除罪の思想を人格化する地蔵菩薩は、むしろ中期大乗経典の加来蔵思想ができた後に、密教思想の盛行に附帯して出現するのである。始めて地蔵信仰の罪悪防止と罪業除滅を鼓吹する『十輪経』が、あらわれたのもその頃であると思う。『十輪経』の目的については、その巻第九に
為欲長養一切衆生、利益安楽、菩提道故。為欲滅除一切衆生、業煩悩苦、令無餘故。(大正一三巻七六七頁C)と説かれている。衆生に利益と安楽を与えることは、観音菩薩の性質と同じである。地蔵菩薩はこれのみならず、さらにまた一切の衆生を成熟するために、菩薩・二乗・諸天・輪王・鬼神・四姓・男女・種々鳥・種々獣・閻羅王・地獄卒・地獄衆生等三十九種の化身をもって、衆生を救済することになっているが、この点について、『普門品』の観音菩薩の三十三種化身の影響があることは、疑を入れない。その上、業の果報たる「煩悩苦」を滅するとすることは、『十輪経』の独特な理念といい得る。業感縁起の理論によれば、一切の衆生自らが造作した業は、必ずしも果報を受けないが、決定的ないわゆる「性罪」なら、改変あるいは滅することは不可能である。しかしこの『十輪経』は、滅罪思想の強調が非常に強い。たとえば、