- 「寄萬韞玉」の書簡に、
貴地久乏熏聞、囿聞見、儻宋儒陳腐見識、一毫未浄、未可深談佛法。(宗論五ノ一巻一二頁)
- 「示沈驚伯」の法語に、
且就倫常指鮎、五乗格之、僅属人乗、間露極談、終不彰著。復被宋儒知見覆蔽、逐使道脈湮埋。(宗論二ノ一巻三頁)
- 「宗范明啓」の法語に、
三寶深理、非庸儒所知、大智丈夫、乃能諦信。餘少時亦拘虚於程朱、後廣讀内典、稍窺涯畔、莫窮源底。(宗論二ノ一巻三頁)
- 「示郭大爵」の法語に、
宋儒循行數墨之輩、索隠立異、皆非孔子所謂學也。(朱)晦庵早富著述、晩乃欲追泯之不可得。(宗論二ノ二巻一四ー一五頁)
と四つの反論が得られる。この宋儒とは、いうまでもなく程頤と朱熹学派を指すのであり、さきに陳述したように、程朱学風の基本点は排仏揚儒であり、その理論的根拠は、仏教は逃世と厭世主義を説くのみで、現実社会の人間福祉および人倫道徳を無視して、ただ解脱境界を望むばかりであることを指摘している。儒教は之に反して、人間福祉と人倫道徳、ことに君臣・父子・夫婦などの倫常を大事にして、和楽平和の人間社会を作ることを主張している。実際には宋儒側が見る中国仏教の消極逃世の現象は、ただ出家仏教の山林にある寺院生活のみであり、本当の積極入世の大乗仏教の本質は、宋儒学派の人達には見捨られていたのである。とにかく、朱熹の排仏論は大変に激しかったが、