明末中國佛教の研究 192


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13 拙著『正信的仏教』一〇〇ー一〇二頁

14 望月信亨『仏教経典成立史論』第九章の第二節を参照。

15 『盂蘭盆経』は『出三蔵記集』の四に、失訳としている。こうした翻訳上の疑点があるから、中国撰述の偽経と推察することもできる。\望月『仏教大辞典』二四四頁及び小川貫弐「仏教文化研究」参照。

16 『論語』の学而章に、「慎終追遠、民徳帰厚矣。」と主張している。

第二節 礼懺と律儀

一 智旭における礼懺の実践


仏教一般に説く「定業不可救」については、智旭ももとよりよく承知していたが、地蔵菩薩のいう「滅定業」の説との間に、彼は決して矛盾のないことを強調していた。これはさきに掲げた資料に説明されている。その理由は、釈尊の場合は、造罪前の衆生に対する警告であり、地蔵菩薩の場合は、すでに造罪というの事実に落ちた衆生に対して救済を与えるためである。なお「定業」の滅と不滅の論理について、智旭には次のような見解が見られる。

特凡夫不達、能造所造、能受所受、當體三徳秘藏。而以殷重倒心、作殷重悪業、必招殷重苦報、名為定業。彼心既定、不可挽回、大覺亦不能卽令消滅。故大慈悲、巧設方便、令地藏大士、説咒勸持、卽是轉其定心、漸使消滅也。(「答黄穉谷三問」\宗論三ノ一巻二二頁)