また隋唐以来の仏教の懺法やイソドから伝来した羯磨法の内容形式とも異なっており、むしろ密教の儀軌に類似しているので、あるいは仏教と道教の間で相互に影響しあっているのかもしれない。しかし、懺悔儀の主要な要素は、むしろ仏教の側から出たものと考える方が比較的に妥当であると思われる。智旭は密教の典籍をすべて閲覧しているが、彼もまた懺悔行法と密部壇儀とを同樣のものとみている(11)。

1 『南海寄帰伝』巻二に、「旧云懺摩、非関説罪。何者、懺摩乃是西音、自当忍義、悔乃東夏之字、追悔為目、悔之与忍、。逈不相干。若的依梵本、諸除罪時、応云至心説罪。」とある。\大正五四巻二一七頁D

2 『根本説一切有部毘奈耶』巻十五の註に、「言懺摩者、此方正訳、当乞容恕・容忍、首謝義也。若触誤前人、欲乞歓喜者、皆云懺摩、無問大小、咸同此説。若悔罪者、本云阿鉢底提舎那、阿鉢底是罪、提舎那是説、応云説罪。云懺悔者、懺是西音、悔是東語、不当請恕、復非説罪、誠無由致。」と論述している。\大正二三巻七〇六頁A

3 拙著『戒律学綱要』二一七頁参照。

4 中国の僧史において、比丘律の羯磨法は、受戒羯磨を実践しているにすぎない。

5 『禅波羅蜜次第法門』巻二に、「一作法懺悔、此扶戒律、以明懺悔。二観相懺悔、此扶定法、以明懺悔。三、観無生懺悔、此扶慧法、以明懺悔。此三種懺悔法、義通三蔵摩訶衍、但従多為説。 前一法、多是小乗懺悔法。後二法、多是大乗懺悔法。」と述べられている。\大正四六巻四八五頁C

6 この三種懺法に対して智旭は、非常に重視または崇敬している。そのことは少なくとも次の三つの資料にみられる。

7 大正四六巻一三頁C

8 大正四六巻三九頁

9 智者大師の懺法について、佐藤哲英『天台大師の研究』第三章および第六章参照。(一九六一年百華苑出版)

10 『仏書解説大辞典』八巻二六七頁参照。

11 『占察善悪業報経疏』卷上に、「密部壇儀、極令厳飾。今但言随力所能者、曲為末世助縁缺乏之人也。」と語って、占察経の懺悔行法の「厳浄道場」科を密教の壇儀厳飾と併せて論述している。\卍続三五巻七五頁A参照