明末中國佛教の研究 202

観自在菩薩如意輪咒課法1宋仁岳大正四六
礼法華経儀式1宋知礼大正四六
釈迦如來涅槃礼讃文1宋仁岳大正四六
集諸経礼懺悔文(儀)2唐智昇大正四七
天台智者大師齋忌礼懺文1宋遵式大正四六
往生浄土決疑行願二門1宋遵式大正四七
修懺要旨(3)1宋知礼大正四六
この『水陸修齋儀軌』の修行法要に参加したのである(6)。しかし、これほただ「随喜」参加したのであって、智旭の自発的懺法修行ではないと推定することができる。したがって、彼の『閲蔵知津』の中に、これを収録しなかったのであろう。

智旭が懺法な重視したことは間違いないが、彼の懺法に対する見解をさらに今一度検討してみよう。彼の「涵白開士礼懺持咒募長生供米疏」の文には、次のように示されている。

三世諸佛、定從名字初心、極至等覺後際、岡不以五悔為進修方便。當知、作法懺、能滅業障。取相懺、能滅報障、無生懺、能減煩悩障。(宗論七ノ三巻一〇頁)

この五悔方便と三種懺法の説ほ、ほとんど智者大師の説から受け継いだものである。従来の天台学者ほ、法華・方等・請観音・金光明・大悲・浄土などの懺法については撰述しているが、地蔵信仰に関する『占察善悪業報経』の懺法の述作については、智旭の努力を待たなければならなかった。この『占察経行法』は、智旭が天台宗の懺法思想の影響を受けながら、なお彼独自の孝道思想と罪報感とを結びつけて完成させたいわば彼の帰着点であると思われる。

次に智旭の礼懺の回数の順序にょって、その一位の『大悲懺』、二位の『占察経行法』、三位の『金光明懺』、四位の『浄土懺』までを少しく論述したいと思う。