明末中國佛教の研究 204

たとえば、「刻占察行法助縁疏」に、

觀音應十方世界、尤於五濁有縁。地藏遊於五濁娑婆、尤於三塗悲重。(宗論七ノ三巻一三頁)

と述ベているのもその一例である。観音はことに五濁悪世の衆生に縁がある。地蔵は専ら五濁である娑婆世界に遊化しているが、最も救済の手を伸ベるところは、刀塗・火塗・血塗のいわゆる三塗の苦趣である。したがって、智旭は観音と地蔵を併称したにもかかわらず、彼の情意は地蔵の方に偏向している。恐らく十方世界の中では、娑婆世界が悩みが一番多く、娑婆世界においては、三塗の衆生の苦しみが最も酷い。ところが、観音菩薩の三十三種または三十二種の化身(8)の中には三塗身はなく、地蔵の『十輪経』の三十九種化身の中には鳥・獣・閻羅・地獄等身がある。このために智旭の地蔵に対する崇敬心は、観音よりさらに深くなったと考えることも、あながち不当ではない。

占察善悪業報経行法


これは智旭が自ら撰述したものである。『占察善悪業報経』に説かれた修行方法は、持名・懺悔・二種観道という三つの段階をもって、漸次に究竟の「一実境界」に悟入することである。罪障の重い人に対しては、持名の行から懺悔の行に入り、一旦罪障が消滅ないし軽くなってから、また唯心識観および真如実観のいわゆる二種観道を修し、しかる後に「一実境界」への証入を目指すことを説く。よって智旭は、地蔵菩薩の名号誦持を提唱しつつ、この『占察経行法』を撰述したのである。罪業の軽重多少または罪業の類別高下については、本経の三種輪相を占うことによって知られるから、まず輪相を占って、次に懺法の行に入り、懺法の実践によって、もし罪業の障難が消えると、輪相を占トするときに、清浄輪相があらわれる。したがって、智旭が四十七歳の元旦、比丘戒を求得する方法は、この『占察経行法』を修して、清浄の輪相を獲得することであった。なぜなら、彼が二十五歳(一六二三)の十二月八日、雲棲寺で比丘戒を求得したとき、当時、