明末中國佛教の研究 213

そして釈尊が自説した『大仏頂首楞厳咒』(1)に彼の持咒思想の最高の理論的根拠を認めるに至った。たとえ同じ滅罪の功用があるとしも、、『大悲咒』と『地蔵滅定業真言』を受持する段階では、わずかに素朴な称名念仏の功用との対比があるのみであるが、『楞厳咒』の理論面に至ると、密教の思想とのつながりがみられる。とくに彼が三十九歳の折に、本格的に『楞厳経』を研究(2)してから、持咒に関する彼の観念は、根本的に変化してきている。すなわち、三十九歳以前の智旭は、単なる持律者・習教者・参禅者ないし浄土行者の立場を固守する者に対しては否定的感情をもっているが、ひとり地蔵滅定業真言を受持することに関しては、遍く人々に勧めている(3)。しかし、三十九歳以後『楞厳経』の問題に触れてからの彼には、顕密平等の見解があらわれている。この点については、次のような資料が掲げられる。

若念念與此定慧相應、便可謂常持如是咒、百千萬億偏。若念念讀誦書寫此咒、便與性定本智相應。(宗論二ノ二巻八頁)

もしも我々の現前一念の心が、定と慧に相応すれば、常に『楞厳咒』を読誦することに等しく、また念念にして、この『楞厳咒』を読誦または書写すれば、定と慧に相応することとなるという。これは顕密不二の考えあるいは顕密互資(4)の思想である。智旭の『楞厳経文句』巻第七にも、これと同様の見解を論じている(5)。顕説と密詮はいずれも仏の不可思議境を表現しているにすぎないが、同じ『文句』の巻第八には、これと異なって、正行と助行を修行の二門とし、正行とは観慧であり、助行とは持戒と持咒等である(6)という説がみられる。と同時に、「もし障縁なくんば、直に境観を修し、もし障の侵さん恐れあらば、兼ねて密印を持す」(7)という主張を出している。これは明らかに智旭にとって持咒第一の段階から、観慧最高の段階への転換であるとみることができる。したがって、智旭は四十歳以降には、持咒を鼓吹しなくなった。その原因を追究してみよう。