明末中國佛教の研究 214


智旭の初期の持咒行は、民間仏教から移行し素朴な行為と考えられた。したがって、智旭は持咒行を称名念仏と同様の方便法門にすぎないと考えていたのであるが、それがひとたび『楞厳経』に説かれる持咒の規則を知ると、かほどに厳しい要求による持咒行は、普通の場合到底できないことに気づいたのである。すなわち、『楞厳経』巻第七に規定している持咒行の要求は、

若有末世、欲坐道場、先持比丘清浄禁戒。要當選擇、戒清浄者、第一沙門、以為其師。若其不遇真清浄僧、汝戒律儀、必不成就。戒成已後、著新浄衣、然香閒居、誦此心佛所説神咒、一百八遍。然後結界、建立道場、求於十方現住國土、無上如來、放大悲光、來灌其頂。(大正一九巻一三三頁A)

ということである。これによれば、まず一人の清浄比丘を選択して、その持咒道場の導師とするのであるが、もし清浄比丘がいなければ、戒律不成就となり、戒律儀則の不成就となれば、持咒道場さえできなくなってしまう。このような規則通りの修行は、智旭といえども不可能である。彼の考えるような清浄比丘というものは、当時の仏教界には存在しなかったし、彼自身もすでに三十五歳の折に、比丘戒を捨棄していたのである。もし戒律の要求が守られなければ、この『楞厳咒』の持児道場を作ることもできない。実に、智旭はそれほどの厳しさをはじめ想像しなかったのであろう。その上智旭は『法海観瀾』巻第四に、同様の密教経典である『牟梨曼陀羅咒経』(8)を紹介する箇所で、傍らに次のような誦咒規則を抄録している。

若起貪欲心、而誦咒乞效験者、當來成於夜叉種子。若無智心中、而誦咒求験者、當來成於鬼神種子。若慈愍之心・大慈悲心・念佛之心、如是心中、誦咒乞驗、當來成於如来種智。(大正一九巻六六五頁A参照)

もし貪欲の心で持咒して、その效験を求めるならば、夜叉の果報を招き、もし愚昧無智の心で持咒して、