持咒における意識を懺悔行法の内に転入させていたと思われる。たとえば、彼の四十七歳のときの著作「祖堂幽棲禅寺大悲壇記」に、大悲懺の壇儀と密教の壇儀を並べて論じた後、さらに密教の立場から、四明知礼(九六〇ー一〇二八)と知礼撰述の『大悲懺』法を好意的に評している。
有宋四明尊者法智大師、佛子羅睺羅再來、専修密行。依天台教觀、創立『大悲三昧行法』、十科行道、十乗観心。並是佛祖秘要、萬法總持。(宗論五ノ三巻二一頁)
天台学系統の学者が、懺法を重視することにはすでに疑問はない。『大悲懺』の歴史とその形態の変遷を研究する現代の学者はいる(11)が、四明知礼に密教的色彩のあることについては、智旭以外に誰も発見していないと思われる。事実に照らしていえば、天台学系統の懺法の中で、明咒を中心として懺法を作ったのは、わずかに知礼の『大悲懺』と『金光明最勝懺儀』および遵式の『消伏毒害陀羅尼三昧儀』、仁岳の『如意輪咒課法』など極めて少数である。中国の天台宗においては、天台密教説あるいは台密説は、全く存在しなかったが、智旭からみた知礼は、天台教観によって密行を修するために『大悲咒』の三昧行法を創立し、これを仏祖の秘要であり、また万法の総持であるという考えに立っていたと解されている。これが実に中国の天台密教の立場ではないかと思うのである。
1 『大仏頂首楞厳咒』は、『楞厳経』、にある明咒であり、これについては、望月信亨『仏教経典成立史論』五〇一頁の論述を参照されたい。
2 『楞厳経』に関する智旭の論作は、彼が三十九歳のとき撰した「壇中十問」を初見とする。\宗論三ノ二巻四ー一四頁
3 「化持滅定業真言一世界数荘厳地蔵聖像疏」参照。\宗論七ノ三巻一頁
4 「示不岐」の法語に、「欲修三昧、尤須事理並進、顯密互資。」とある。\宗論二ノ四巻一二頁
5
- 『楞厳経文句』巻七、「原此一経妙旨、不外十乗観法。前三
巻半経、顕譚不思議境也。五会神咒、密詮不思議境也。」\卍続二〇巻三二七頁A
- 同じ『文句』巻七、「当知顕密皆不思議也。」\卍続二〇巻三三〇頁D
6 『楞厳経文句』巻八参照。\卍続二〇巻三三九頁C
7 「答大仏頂経二十二問」。\宗論三ノ三巻九頁
8 『牟梨曼陀羅咒経』は雑密部の経典であり、宝楼閣法を内容とする。『宝楼閣経』三訳の一であり、梁代の訳出である。しかし失訳人名であって、唐の不空三蔵訳『宝楼閣経』の第二の根本陀
羅尼品以下の異訳である。
9
- 「儒釈宗伝竊議」に、「曰見知・聞知、則可。謂以是相伝、可乎。」\宗論五ノ三巻一五頁
- 「法派称呼辨」参照。\宗論五ノ三巻一一ー一三頁
10 「金剛智潅頂国師像賛」に、「円頓超言象、雲物聊示端。菩提乃宗要、事理非徧安。」とある。\宗論九ノ四巻一二頁
11 鎌田茂雄氏「大悲懺法について」を参照。\『印度学仏教学研究』二二ノ一巻二八一ー二八四頁
三 智旭のト筮信仰の実践
本来の仏教徒として、ことに沙門釈子の場合には、医・ト・星・算などの行為は一切禁止されている。さもないと邪命外道と指摘される恐れがある。なぜならば、八正道の中の正命という正しい生き方は、これら医・ト・星・算などの行為を避ける道なのである。したがって、ト筮はインドにおいても存在した(1)が、決して仏教者の行うべきことではなかった。一方、中国におけるト筮の種類は非常に多い。顧炎武(一六一三ー一六八二)の『日知録』巻第四に記載されているのは、『史記』の天官書・賈誼伝・亀策伝、『漢書』・『後漢書』および『礼記』の占夢などである。そのうちのあるものは、月の行く所をもって占う、あるいは日をもって事を占う、