明末中國佛教の研究 218

あるいは時によって事を占うと為し、あるいはこれをもって天地の会うを観じて陰陽の気象を弁じ、または日月星辰をもって六夢の凶吉を占うなどとしている。このような中国におけるト筮の理論基盤は、『易経』の八卦と六爻であり、これは『日知録』巻第四に、

群物交集、五星四気、六親九族、福徳刑殺、衆形萬類、皆發生於爻。(台湾世界書局印行本『日知録集釈』九七頁)と述べられている。前述のように、ト筮の原理は儒教の『易経』によるものであるが、『易経』の哲学化は宋明時代における儒教の大事件を契機とするのである。そのため少年儒教者出身の智旭が、『易経』とつながるト筮の信仰を大いに好んだことは、怪しむことではないと思う。それだけではなく、智旭の『選仏譜』の序に明示されているとおり、明末頃の仏教界においては、すでに占ト信仰は仏教に導入され、民間信仰から仏教の学者の間に侵透して、仏教的に理論化されていったのである。その一つに、捺麻僧(2)よって創作された『選仏図』という一種のト筮法がある。これは方角の層次と数字の排列によって、十法界の昇沈流転図を作り、これをもって人々の未来の位置をトうものである。善行あるいはなんらかの功徳を増上するときは、その位置は上に昇っていくけれども、悪業の罪を作るならば、その位置は下に落ちるというのであり、最高の位置が円教の究竟妙覚位の仏であることから、『選仏図』といわれる。この『選仏図』は恐らく袁了凡の『功過格』との間に因果関係があると思われる。多分『選仏図』は『功過格』を改良して、純粋に仏教化した占トを述べたものであると思われる。この方法によれば、我々は天眼通でなくとも、自分の将来は分明となり、日日に修善すれば、次第に仏の位置にあがって行き、日日に罪を造作すれば、愈々地獄の位置に落ちるとするのである。

明末の天台学匠である幽渓伝燈も、一冊の『選仏図』を作っているといわれる。