良知の知と普通知識の知は全然別なものであるが、この良知心は我々に本来具わっているにもかかわらず、力をいれて実践しなければ、良知心は顕現することができなくなる。このように、実践して心を明かにするということを、すなわち、「知行合一」というのである。かような理念は、実に仏教の真如心をもって陽明の「理」という「良知心」となすことであり、仏教の修道における止観および六度万行をもって陽明の「力行」または「致知」の工夫とすることである。また、如来蔵そのものは、一切の法に含まれると同時に、一切の法に遍ねく、さらに一切の法を如来蔵に摂収している。そして、一切の法より如来蔵を見れば、不変随縁であり、如来蔵より一切の法な見れば、随縁不変である。そこで陽明は一切の法を「事事物物」といいかえ、また如来蔵の真常清浄心を「吾心良知之天理」といいかえたにすぎないといえよう。

以上を換言すれば、陽明は、まず我々の第六意識の知を認定して、それから禅観と善行によって、良知の心の天理に致り、これを「力行」といいかえている。さらに、この力行の現象は、すなわち天理の不変随縁であって、天理の良知に達することが、すなわち、随縁から不変になることであるという。つまり陽明学の「知行合一」という思想は、実に如来蔵の不変随縁と随縁不変の模倣をしたものにすぎないと、考えられるであろう。

さて、智旭と陽明思想の近似点について考えるに、たまたま智旭が『起信論』と『大仏頂首楞厳経』の如来蔵を中心とする人物である以上、陽明の心学を首肯するのは、怪しむに足らないであろう。儒教の聖人と見なす孔子と顔回に対し、智旭は相当の敬意を払っているので、陽明をその孔子と顔回の聖脈を継続する人として讃許したが、決して仏教の義理を陽明の説と混同してはいない(9)。漢唐以下、ことに宋儒の程朱以下の儒教学者は、ほとんど反仏論であったのに比して、王陽明には反仏論の色彩がなかったので、之を奇とした智旭は、