清浄菩薩比丘戒獲得の輪相があらわれることを始めて願求したのは、三十五歳の頃であり(11)、それ以来しばしば修しているにもかかわらず、清浄比丘戒の輪相は出てこなかった(12)。ところが、今回は遂に清浄輪相を獲得したのである。以後の智旭はまさに不安もなく、すべて落着くこととなる。

以上の資料にみられるように智旭は、母親の延命に、盟友の出家と参訪に、経典註釈の方法を選択する場合に、身分位置の決断をするときに、著述宏経の生き方を決定する際に、ないし比丘身分を回復するときに、いずれもト筮信仰にたよって決定している。このような仏教学者は、中国仏教史上極めて異例なことであると思う。

ところでト筮信仰に関する仏典の根拠は、全くないではないが、これについて智旭は、『占察善悪業報経玄義』に、その理論的依拠を次のように論述している。

如永明大師、己悟圓宗、仍作坐禪・萬善鬮。當知、拈鬮一法、出圓覺経、與今輪相、及灌頂神策経。同名正法、不比世間ト筮。(卍続三五巻六二頁A)

智旭が掲げた占ト信仰の根拠となる仏典は、『円覚経』・『占察善悪業報経』・『梵天神策経』の三種の経典であるが、なお彼は永明延寿(九〇四ー九七五)の拈鬮の先例を紹介している。しかし、望月氏の『仏教経典成立史論』は『円覚経』と『占察経』とを、中国において作成された疑偽経であると推定している(13)。また『梵天神策経』については、『法経録』巻第四、『彦宗録』巻第四、『大唐内典録』巻第十等、みな偽妄経として扱っている(14)。このト筮信仰に関する三種の経典が、インドからきたものでないとするならば、中国撰述の可能性は非常に強まるであろう。もしこれらのト筮信仰の経典が、確かに中国本土において生まれたものならば、当時すでに仏教化していたト筮信仰はあくまでも中国仏教の一特色としてとらえるべきであろう。