明末中國佛教の研究 223


したがって、『占察善悪業報経』の輪相の源流は、『地蔵十輪経』の十輪から発展したものであって、『十輪経』の十輪は、すなわち、十善であるという。また『占察経』の内容に至ると、十輪の観念を一段と細密にして、三種の輪相占法に発達させたのである。すなわち、第一種の輪相法は十善と十悪業を占察し、第二種の輪相法は宿世の集業の大小を占察し、第三種の輸相法は三世中の受報の差別を占察することである。したがって、『占察経』の輪相占法そのものは、世間の俗信仰のト筮に比べると、かなり進歩しており、かつまた仏教的に理論化したものと認めるべきであろう。中国において『占察経』を闡揚した人物は、智旭のみであるが、『三国遺事』巻第四によれば、新羅の真表律師はすでに八世紀頃に『占察経』の行法を実践したといわれている(15)。

1 『法苑珠林』巻九の占相部参照。\大正五三巻三四六頁Cー三四九頁C

2 「捺麻僧」とは、多分西蔵と蒙古系統の喇嘛(Blama)僧であると思う。

3 ①宗論五ノ二巻一三頁、②宗論八ノ三巻六頁

4 卍続六三巻一六四頁B

5 宗論一ノ二巻一四ー一五頁

6 宗論六ノ一巻六頁

7 占トに関しては、なお「丙子三月九華地蔵塔前願文」にも記載がある。これも同じく智旭が三十八歳の折の作である。\宗論一ノ三巻一頁参照。

8 智旭四十七歳のときの「大悲壇前願文」には、「智旭向於九華、 拈得閲蔵著述一鬮、遂復重理筆硯。」と記している。\宗論一ノ四巻一〇頁

9 宗論五ノ一巻一三頁

10 宗論巻首三頁

11 宗論五ノ二巻八頁

12 「与沈甫受・甫敦」。\宗論五ノ二巻七頁

13 望月信亨『仏教経典成立史論』第十章参照。

14 同上書四二二ー四二三頁参照。

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