明末中國佛教の研究 224

第四節 血書および焼身信仰

一 血書の仏教的典拠


自らの血液を朱墨として、経文等を書写することを血書または血写という。部派仏教時代の小乗経典には全くみられないが、初期の大乗経典、たとえば、『法華経』の「法師品」には、血書ということはないが、受持・読・誦・解説・書写という五種の法師行の中で、書写のことが示されている。なお『仏説菩薩本行経』(1)巻下には、

梵天王時、為一偈故、自剝身皮、而用寫経。毘楞竭梨王時、為一偈故、於其身上、而啄千釘。優多梨仙人時、為一偈故、剝身皮為紙、折骨爲筆、用血和墨。(大正三巻一一九頁B)

と法華経の書写よりさらに一歩進んで、皮をもって紙となし、骨を折って筆となし、血を用いて墨となすことを記載している。これは釈尊における三つの本行に関する物語りであるが、恐らくこの経典の成立時代においては、経典の流通はすべて手書によるのであるから、数量は極めて限られている。求得するのも非常に困難なので、もし仏典があれば自身の皮を剥ぎ、骨を折り出し、血を刺出して、これを書せんとするに惜むことはないはずである。その後『梵網経』巻上も、この思想を伝承して、菩薩戒を受けた人に対して、第四十四条の軽戒に、このことを戒律として規定している。

若佛子、常應一心受持・讀・誦大乗経律、剝皮為紙、刺血為墨、以髄為水、書寫佛戒。(大正二四巻一〇〇九頁A)