明末中國佛教の研究 226

インドの思想にあっても、かなり時代の下った頃のものと考えられる。しかも、四十巻本は毘盧遮那如来の因地本行のことを明記している。その本質は、『菩薩本行経』の所説と併せてこれを論ずべきであると思う。

なお『梵網経』において、菩薩戒を禀受した者は、必ず血書しなければならないと規定したのは、『菩薩本行経』や『大智度論』などの記載に影響されたものとみられる。因地の釈尊および愛法の梵志が、すでに血書経偈をしたのであるから、後世の菩薩心を発起した者も、これに従うべきであるわけで、そこで戒律の形でこの血書の行を初発心の菩薩にまで、激励の意味で規定したのであろう。『梵網経』の成立年代とその成立場所については、すでに学界において論評されているが、それによれば中国の撰述であることは疑いないと思われる(2)。

1 大正三巻一〇八頁Aー一二四頁A

2 望月信亨『仏教大辞典』四七一一頁Cー四七一二頁C参照。

二 智旭における血書の実践


血書ということが、インドにあったかどうかは別の問題であるが、中国における血書の信仰行為については、明らかに『梵網経』と四十巻本の『華厳経』の影響を受けて流行したものである。『梵網経』は『華厳経』系統の経典であり、智旭は『梵網』と『楞厳』の二経を中心とする仏教学者であるから、彼が血書信仰を実践するのは、