さて智旭自身の血書の記録は、便宜上、表にして紹介すると前頁のようになる。
このような智旭の血書に関する記録は、二十六歳に一回、三十歳に三回、また三十一歳と三十二歳に各一回で、あわせて僅か六回のみであり、そのうち大乗経律を血書した例は、ただ一回のみである。その他は書簡・祭文・詩偈・願文を血書したので、彼は血書を「以法供養」と述べているけれども、彼自身の血書表現においては、法供養のためよりむしろ虔誠心を伝える要望の方が、より深かったと思われる。
1 大正一〇巻八四五頁C
2 大正二四巻一〇〇九頁A
3
- 焼身供養については、『法華経』の薬王菩薩本事品を参照。\大正九巻五三頁B
- 然臂と然指については、『楞厳経』巻六参照。\大正一九巻一三二頁B
4 『法華経』巻六に、焼身供養のことに対して、「是名第一之施、於諸施中、最尊最上。以法供養、諸如来故。」と説かれている。\大正九巻五三頁B
5
- 『八十八祖道影伝賛』附録の徳清伝を参照。\卍続一四七巻五〇二頁
- 『憨山大師夢遊全集』巻四十の「刺血和金書華厳経発願文」参照。\卍続一二七巻四〇一頁C―四〇二頁B
6 卍続一二七巻三二四頁Cー三二六頁C参照。
7
- 一番から八番までは、宗論七ノ一巻参照。
- 第九番は、宗論七ノ三巻参照。
- 十番以降は、宗論九ノ四巻参照。