明末中國佛教の研究 233


と述べられている。このような『梵網経』の思想を考察すれば、そのうちの焼身説は、『法華経』の「薬王品」を踏襲したものであり、捨身してわが身を餓虎などの猛獣の餌となすことは、『金光明経』の「捨身品」を受け継いだものとみられるであろう(10)。

しかしながら、新発心の出家菩薩に対して、条文通りの焼身亡身と捨身飼虎などの過激な苦行を要求することは、比丘戒に違反する(11)のみならず、現実的に考えても到底不可能であろう。

1 『賢愚経』巻一の「摩訶薩埵以身施虎品」参照。\大正四巻三五二頁Bー三五三頁B

2 捨身思想については、望月信亨『仏教大辞典』二一六二頁Bー二一六三頁C参照

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4 大正五一巻二三頁Cー二六頁C

5 大正五三巻九八九頁Cー九九七頁C

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7 戒禁取見とは、五利使の随一である。

8 『南海寄帰内法伝』巻四に、「慈力捨身、非僧徒応作。」と論じている。\大正五四巻二三一頁AーB

9 現存の『金光明経』は四種がある。その「捨身品」の品次については、①梵本第十九の vyaghri という。②北涼曇無讖訳四巻本の第十七品。③合部八巻本の第二十二品。④唐義浄訳十巻本の第二十六品である。\『仏書解説大辞典』三巻四三〇頁BーD参照。

10 訳経史の観点から見ても、矛盾はないと思う。四巻本『金光明経』の訳出時代は、北涼の玄始三年と十五年(四一四ー四二六)の間であり、『妙法蓮華経』の訳出年代は、姚秦弘始八年(四〇六)である。『梵網経』は伝統によれば、『法華経』の訳者鳩摩羅什が訳出したといわれているが、この伝統は、