すなわち無始以来の一切の宿債を完全に酬報することができるとするのである。そして、この捨身の一本の線香さえ燃やして供養することがなければ、たとえ無為の無漏果位に昇っていても、その宿債があれば、必ず再び人間の身に生まれてきて、その宿債を報いるであろうとするのである。これは『楞厳経』における独特の捨身思想である。
すでに繰り返して記述したように、智旭は罪報感を重くもつ人であるので、『楞厳経』に説かれたこの宿債を卽生酬報して終るという方便法門に対して、なによりも感激をしたであろうが、彼は比丘戒を重視するために、焼身自殺および燒臂断指など激しい捨身方法は取らず、その一生を通じて、ただ燃香の方式で罪業を懺悔することを実践したものであるといえる。したがって、智旭の燃香信仰は、ほとんど彼の礼懺・持咒・発誓願などの信仰行為にともなって行なわれたと言い得る。
捨身供養について、古来種々の方式でその苦行が実践されたことは、すでに論述したが、その焼身説は『法華経』の「薬王品」に基づくもので、『梵網経』に至ると、焼身・焼臂・焼指が規定されており、さらに『楞厳経』には、燃燈と燃香の説があらわれている。智旭に実践されたのは、焼身・焼臂・焼指・燃燈のことではない、僅か燃香の一科である。しかし、彼は『楞厳経』に説かれた燃香の一科を燃頂香と燃臂香の二項にわかち、かつ燃頂香の行に対しては、燃臂香の行より一層荘厳的な観念をもった。燃香に関する『楞厳経』の経文は「於身上、爇一香炷」(1)と記しているが、燃臂香と燃頂香について教えてはいなかった。進んで考えると、燃臂香とは焼臂と焼指の簡略化であるが、燃頂香の根拠は恐らく「頂礼」の意味から衍生した苦行観念であると思われる(2)。それ故、今日にいたるまでの中国仏教においては、菩薩戒の受戒の依準は僧俗男女をとわず、すべて『梵網経』の菩薩戒によるものである。受戒する前には、必ず燃香の苦行をするわけで、出家の菩薩は燃頂香、在家の菩薩には燃臂香が習慣となっている。しかし、