明末中國佛教の研究 243

またこの守則によって会議の方式いわゆる羯磨で懺除し、最も重大な四種の波羅夷を犯せば、僧団から追放を受けるべきである。地獄に落ちるほど恐畏的ことはないのである。しかし、中国伝来後の仏教僧団においては、半月毎の説戒布薩の行事はほとんど廃止されており、説戒布薩が行なわれても、挙罪と出罪の羯磨法は執行されていない。それ故、僧侶の行為の腐化を防ぐために、『目連問五百軽重経』あるいは『犯戒罪報軽重経』に説かれた犯戒堕獄とその堕獄年数の説が出現することになったのは、当然なことであると言い得る。

1 『梵和大辞典』第二巻一九二頁参照。

2 比丘律によれば、「意業」犯戒は突吉羅に、「邪見」は波逸提に、「破僧」は僧伽婆尸沙にだけであって、すべて懺除清浄がで きることであり、「大罪」とは考えられていない。

3 現存する律部とは次の六種ある。

4 堕地獄の記載について、提婆達多の破和合僧・出仏身血・殺(蓮華色)阿羅漢尼の重悪を犯した後に、地獄に堕ちるということは、四種阿含経並びに諸部律に明記しているが、普通の破戒罪ないし極微細の突吉羅によって、『犯戒罪報軽重経』に説かれた ような、少くなくとも人間寿命九百千年の間、地獄におるベしということはなかつたである。

5 『仏書解説大辞典』第一〇巻二一二頁B―Cおよび一〇巻一三頁D― 一四頁B参照。

6 『閲蔵知津』三三巻一〇頁参照。

7 『重治毘尼事義集要』巻首に、「曽細玩之、不唯与四分律相違、実与五部及諸律論、倶多矛盾。…(中略)…不知近代律主、偏流通此経者、亦曽参考全律否耶。」と述べている。(卍続六三巻一七一頁C―D)智旭が三蔵教典に対して疑偽という論点を出したのは、この例の他には見えない。つまり彼は思想史と訳経史の立場を取ってない。僅かに経文比較の立脚点に立つているのみである。

8 この文句は、次の二経とも記している。