明末中國佛教の研究 244

二 破戒思想と犯罪思想


さきに述べたように、罪に関する思想は、『毘婆沙論』の時代になると相当進歩してきていたが、大乗経論にいたると、より一層論理化・組織化されてきた。たとえば『瑜伽師地論』第九十九には、罪を性罪と遮罪の二類に分けている。

云何性罪、謂性是不善、能為雑染、損悩於他。能爲雑染、損悩於自。雖遮不制、但有現行、便往悪趣。雖不遮制、但有現行、能障沙門。云何遮罪、謂佛世尊、観彼形相、不如法故。或令衆生、重正法故。或見所作、隨順現行、性罪法故。或為隨順護他心故。或見障礙善趣壽命沙門性故。而正遮止。若有現行如是等事、説名遮罪。(大正三〇巻八六九頁Cー八七〇頁A)

この『瑜伽論』の性罪と遮罪の内容については、正量部に属する『律二十二明了論』(1)に記載する性罪・制罪・性制二罪の三種罪の説(2)および『大涅槃経』巻第十一の「聖行品」に説かれた性重戒と息世譏嫌戒(3)、あるいは性重戒と遮制戒(4)の二種戒の説をあらためて組織化・論理化したものであるとみられる。いわば「性罪」とは婬・盗・殺。妄語の四種根本戒の波羅夷であり、もしこの四種の根本戒に規定したことを犯すならば、仏戒を受けた人はもちろん受報し、仏戒を受けていない人も、果報を受けなくてはならない。「遮罪」とは仏教の道を辿って行くために、また、仏教の名誉を守るために、釈尊より規定された禁戒のことである。原則として根本戒の性罪を造作すると、比丘戒の場合は、僧団から追放され、懺除する可能性は全くないが、大乗菩薩の場合は、懺悔を許し、重受することもできる(5)。これは比丘戒と異なっているところであり、その原因は比丘戒の性罪はただ四戒のみであり、