『梵網経』の菩薩戒の性罪は十戒があるので、破戒を絶対にしないというのは、凡夫の場合、不可能というべきである。さきに述べたように性戒を犯すと性罪となる。性罪とは受戒していない人にしても、性戒に相当の悪行をすれば、果報を受けるべきものなのである。そして、智旭は十二歳の折に、菩薩戒を受けていないが、程朱学派の儒教思想に感染されて、闢仏論を製作したことはくり返し述べてきた。これは『梵網経』菩薩戒と『瓔珞経』菩薩戒の第十条「謗三宝」の性戒を犯したことになる。したがって、智旭の罪報思想は地蔵信仰より比丘戒を経て、菩薩戒に帰着していった。すなわち、地蔵信仰に基づいて罪報感を起し、菩薩戒に基づいて懺除清浄の願望を満たしたのである。『梵網経』によれば、懺除清浄の方法とそれを証明する方法は、十重四十八軽の戒本を読誦し、なお三世の千仏を礼拝し、それによって、「見光見華」という「好相」が行者の前にあらわれれば、懺除清浄の証拠とするのである。『占察善悪業報経』によれば、『占察行法』を実践して、清浄輪相が現前すれば、証明されたとされる。そこで智旭は、三十五歳から『梵網懺法』と『占察行法』を修行したのである。既述の如く、彼の資料によれば、四十七歳の元旦の日、ようやく『占察行法』の修行によって、比丘戒の清浄輪相が顕われたという。
智旭の罪悪観において、およそ菩薩戒の謗三宝罪と比丘戒の性遮二罪を二大類別として分割することができる。
謗三宝罪
これについては、智旭の資料中に繰り返して述べているが、ここではその内の四箇所を抄出したいと思う。
- 「復九華常住」に、
不肖智旭、少時無知、毀謗三寶、罪満虚空。(宗論五ノ二巻一頁)
- 「与了因及一切緇素」に、
旭十二三時、因任道學而謗三寶、此應堕無間地獄、彌陀四十八願所不収。(宗論五ノ二巻八頁)
- 「祖堂結大悲壇懺文」に、
智旭少年、謗三寶業、今尚憶知、誠心懺悔、願盡消除。(宗論一ノ四巻七頁)
- 「自像賛」の二十三首に、
十二從外傅、立志為聖學、悞造謗法罪、幾至大堕落。(宗論九ノ四巻二二頁)
とある。この謗三宝罪は、もし比丘戒によれば、四分律戒本、「無根謗僧」では僧伽婆尸沙(6)、謗仏と謗法では波逸提(7)に当る。僧伽婆尸沙は二十人の僧中で説罪出罪し、波逸提は一人比丘の前で悔過の決意を表明すれば、清浄の戒体に戻るはずである。しかし、菩薩戒によれば、非常に重くて、謗三宝を行なうと性罪になり、性罪の懺除が許していても、種々の異相の顕現を求得することは容易ではない。もし異相が顕現しなければ、たとえ何年続けて求めても無駄であるとする。さらに『地蔵本願経』巻上の「観衆生業縁品」によれば、謗三宝の罪は無間地獄に堕ちる(8)べしという。この恐しさは、『梵網経』の教えと地蔵信仰をもつ智旭にとっては、真に大きな衝撃であったと思われる。
比丘戒の性遮二罪
智旭は三十歳前後の折に、懸命に比丘戒律の復活運動に努力したが、中国の環境では、比丘戒そのままに実践するのは決して簡単ではなかった。それ故、彼自身は『占察行法』による清浄菩薩比丘戒の輪相を得る前には、もちろん破戒僧あるいは無戒僧と考えていたが、さらに清浄輪相を獲得した後においてもまた清浄な比丘ではないと反省をしている。しばらくこれに関する資料を挙げてみたい。
- 「安居論律告文」に、
又以業重福軽、障深慧浅、染心易熾、浄徳難成。性罪僅持、遮罪多犯。(宗論一ノ一巻一六頁)
とある。これは智旭三十二歳のときの著述であって、この時代の智旭は根本戒を犯した性罪には触れていないと思っているが、一般の息世識嫌戒を犯した遮罪を招くことは、かなり多かったと感じている。事実上、遮罪はもちろん、性罪においても、これを絶対に犯さないというのは不可能である。そして三十八歳と四十歳頃の智旭には、次のような自白がある。すなわち、
- 「復水部胡善住」に、
卽比丘二百五十戒相、雖於開・遮・持・犯之致、了了分明、而未能行其萬一。又、無論遮罪中除飲酒・過午二條、餘皆未浄。卽性罪七支、能免故殺、而不能防誤殺。能不錯因果、不敢以三寶物私自取用、而不能磚銭決不買瓦、猶如古人。能執身不犯世間男女、而不能夢寐清浄。能不作妄語・両舌、而不能無悪口・綺語。(絶餘編二巻一〇ー一一頁)
- 「滅定業咒壇一百十日円満然香懺願文」に、
而撫躬内省、慚悚彌增。我實婬機・盗意・殺習未除。我實妄言・綺語・悪口・兩舌、種現末消。(絶餘編一巻一七頁\宗論一ノ三巻九頁)
とあり、以上の二点の資料をみれば、その変化は本当に驚くべきことである。智旭三十二歳の頃は、遮戒は多く違反していても、性戒は持守しているという自負があったが、三十九歳の前後にいたると、彼が自信をもっていられるのは、僅か遮戒中の不飲酒と不過午食の二戒だけにすぎない。身口七支の四根本戒においては、身業の婬・盗・殺戒、口業の妄語・綺語・両舌・悪口の中に、男女交接はないが、夢精程度はまだ絶えず、盗むことはしないが、磚を買う銭でかわりに瓦を買うことなどはまだあった。故意に殺生をすることはないが、誤って蟲などの衆生を殺すことはないといえない。口業についても、②の資料には、悪口と綺語の罪をなしていても妄語と両舌は犯していないとするが、③の資料では、口業の四支性罪の種子と現行と共に消えていないと語っている。
また、比丘戒律についてみれば、根本戒を破戒することは、男女相交・盗物過五銭値・殺人・大妄語の四条であり、もし夢精・誤殺昆虫・悪口・綺語などのことをしても、根本戒性罪の波羅夷には適用しない、しかも息世識嫌戒の遮罪に属する三番目の波逸提あるいは四番目の突吉羅のみである。しかし、智旭は『梵網経』菩薩戒のいわゆる心地戒の標準でこれを較量すると、性罪になると判断しているわけで、必ずしも誤まった理解ではない。 ともかく智旭自身としては、どうしても清浄な持戒僧とは思えない。そして彼は清浄輪相を獲得する前と後を問わず、いずれも破戒僧の穢れた身分の持主であると自責するのである。このような心持については、次の資料によく表現されている。
- 「与了因及一切緇素」に、
二十年末、力弘正法、冀消謗(法)之罪。奈煩悩深厚、於諸戒品、説不能行。(宗論五ノ二巻八頁)
- 「大悲行法道場願文」に、
明知大小毘尼、而不能清浄性遮諸業。明知殺業是刀兵劫因、而殺機尚未永忘。明知偷盗是饑饉劫因、而愉心尚未全斷。明知婬欲是疫病劫因、而婬機尚自熾然。(宗論一ノ四巻四頁)
- 「祖堂結大悲壇懺文」に、
今年正月元旦、錫以清浄輪相、稍自安慰。無奈夙習根深、不能自抜。出壇後、又起種種身口意業。乃至濟生庵、修大悲行法、然香懺悔以後、默簡長夏初秋、仍復多諸違犯。(宗論一ノ四巻八頁)
とあり、この三点の資料は、智旭四十六歳および四十七歳の二年間、すなわち、比丘戒清浄輪相を獲得する前後の二年間に著わしたものである。清浄輪相があらわれる前には、諸の戒品にいうことが実行できないと語っており、清浄輪相が顕現した後にも、依然として性遮諸業を清浄ならしめることはできない。たとえば性罪に属する殺念・盗心・婬意などの煩悩は、まだまだ燃え盛っている。結壇礼懺のとき、一時的に清潔になっているが、壇場を出てからはまた種々の身・口・意の三類の悪業が起るからで、智旭はその一生、終始絶えず破戒の悩みから脱し得なかったのである。彼の問題点は小乗比丘の律儀戒に大乗菩薩の梵網心地戒(9)を配置して、いわゆる菩薩比丘の理想とするためである。事実上比丘戒は、生理の肉体行為を主とする律儀であり、菩薩戒は心理の思想行為を主とする律儀であるので、もし無理して菩薩戒の要求基準で比丘戒を解釈し、また菩薩戒を受持するように比丘戒を同時に完全に受持することを要求すれば、極めて困難なこととなる。
さらに、中国の風俗環境は、インドの釈尊時代または部派仏教時代の環境と比べれば、かなり異なっており、後漢時代に仏教がインドから中国ヘ伝来した当初のときより、明末にかける千五六百年の間に、戒律を研究し宣揚する学者はあったが、戒律をそのままに行なった僧団は、いまだかってなかったといえる。この事実を智旭も知らないではないが、なお比丘戒の極微細戒までを守るべきであると強調している(10)。実際には智旭のような高僧の行為標準さえ、清浄比丘の資格にはならないとなれば、まして普通の僧侶では、到底、実行不可能な無理なことではないかと考えられる。
ところで、智旭の戒律復活運動の念願は、事実上は画餅に帰したが、彼の残念な思いは時にふれて表われ、これについて、次のような四点の資料が掲げられる。