明末中國佛教の研究 250


とあり、これらの資料を通して見られるのは、悲しく寂しい未練を残した心情である。智旭は二十七歳から律蔵を閲読し、さらには戒律の復興運動に全力をあげて、同志者を呼喚したり、律学を講義したり、毘尼社を結成したりしたが、遂にこの運動が失敗に帰した後に、彼は九華山へ隠遁する。さらに、後は命終の最後までこの正法の律儀を復興する志を達成していないが、彼の持戒思想と弘律の念願は、以上の四点の資料によく反映しており、ことに彼の自責と失望の心情は明瞭に示されている。

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