明末中國佛教の研究 25

第三節 道教との連関および儒仏道三教同源論

一 明代の道教


中国の宗教政策において、ある特定の宗教が統一の国教になったという例は、北魏の大武帝の時代をおいて他には存在しない。もしそれに近い状態があるとすれば、たとえば国家の力により道教が盛行し、仏教が抑圧されたことはしばしば見られるが、その場合は、中国伝統思想の自尊感あるいは尊王攘夷の排外観点のもとにあらわれたものである。外来の仏教と中国に発生した道教とも、共に政府の依準そのものにならなかったことは事実である。歴代の君主政府における宗教政策としての取り扱い方は、社会または文化的問題の一環として処理するにすぎなかったようである。

この点、明の朱氏王朝の初期もそうであった。すなわち、『明史』巻第九十八の「芸文志」の三に載せた道教類の書目に、太祖は『道徳経』二巻を註釈し、さらに『周顛仙伝』一巻をも製作していることが見え、成祖も『神仙伝』一巻を製作したことが見えている。一方、仏教類の書目にも、太祖が『金剛経』一巻を註釈したことが見えているが、これには成祖の製した序文がある。また成祖御製の『諸仏名称歌』一巻、『普法界之曲』四巻、『神僧伝』九巻、『仁孝皇后感仏説大功徳経』一巻があることも見えている。これらを通観していえることは、これらは、統治者としての帝王が民心をおさめる一種の手段として行った著作であって、