明末中國佛教の研究 251


2 『律二十二明了論』の三種罪の説参照。\大正二四巻六六七頁A

3 『大般涅槃経』巻十一に、「有二種戒、一者性重戒、二者息世譏嫌戒。性重戒者、謂四禁戒。息世譏嫌戒者、不作販売、軽秤小斗、欺誑於他。」等という。\大正一二巻四三二頁C

4 同上経巻十一に、「堅持如是遮止之戒、与性重戒、等無差別。」とある。\大正一二巻四三三頁A

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6 『四分律』比丘戒の僧伽婆尸沙第九条参照。

7 『四分律』比丘戒の波逸提第六十八条および第七十条参照。

8 『地蔵菩薩本願経』巻上に、「毀謗三宝、不敬尊経、亦当堕於無間地獄。」とある。\大正一三巻七七九頁C

9 『梵網菩薩戒経』は、すなわち梵網経の菩薩心地品といわれている。

10 『重治毘尼事義集要』巻首の「総問弁」参照。\卍続六三巻一六七頁A

三 贖罪思想


罪報思想に基づいて智旭は、自分自身の罪障を除滅するために、礼懺・持咒・血書・燃香の行を行ない、他人の罪障を除滅するためには、身代りの贖罪思想があらわれている。仏教思想史上において、智旭の贖罪観は実に独特な思想といえる。贖罪という考え方は、一般にはキリスト教のものと思われがちであるが、智旭における贖罪思想とキリスト教の間には全く関係はない。智旭はキリスト教の教義を知っていたが、それは彼の四十歳の頃のことであり、そして四十五歳に、反キリスト教の著書である『闢邪集』を作った。しかも、