明末中國佛教の研究 253

「罪人」であったから、その国ほまもなく滅亡してしまったとい(3)。けれども、この「罪己」思想はただ罪を自分が引き取ることだけであるので、贖罪の思想とは言えない。

しかし『詩経』秦風の「黄鳥」篇に、確かに贖罪または贖身の記載が検索される。

彼蒼者天、殲我良人、如可贖今、人百其身。

この詩の意味は、神よこんなに私が敬慕する賢人を、この世の中から奪わないでほしい。もしできることがあれば、私が百世に生まれ変りきて、その百世の百身で、かの賢人を贖ってほしいというものである。ここには中国古典の中に贖罪思想があらわれている。智旭の贖罪観は恐らく本生譚の忍辱仙から、『梵網経』の代受毀辱の説を経て、さらに『左伝』の罪己説ならびに『詩経』の贖身などと関連させた後に、これを『地蔵本願経』の罪報説と結びつけたものであると考えられる。儒教者出身の智旭としては、このような儒仏混融の考え方ができると見るのも決して怪しむべきこととは言い得ないであろう。

ここで、智旭の贖罪観に関する記録を挙げれば、次の表の通りである。
年令贖罪事件紀要資料根拠
26歳若一切衆生、定業当受報者、我皆代受、徧微塵国界、歴諸悪道、終無厭悔。宗論一ノ一巻六頁
31歳若其従無始来、至於昨日、所有一切悪業、応受報者、智旭悉皆代受、令得解脱。宗論一ノ一巻七頁
救贖衆生、普法界之慈縁。宗論一ノ一巻一二頁
尽法界衆生、無始至今、一切殺・盗・婬・妄語・飲酒・貪・瞋・癡等、塵沙等罪、智旭普皆代受。宗論一ノ一巻一〇-一一頁