これは中国の民間信仰または道教の延命信仰と詩経の贖身説を混合して成立するものであると考えられてよいが、智旭が仏教によって得た贖罪思想は早くも彼二十歳頃に読了した『地蔵本願経』の中には「生死業縁果報自受」(9)と示され、またその「地獄名号品」に、
是故衆生、莫輕小悪、以為無罪、死後有報、纖毫受之。父子至親、岐路各別、縦然相逢、無肯代受。(大正一三巻七八二頁AーB)
という文句がある。この経文の真意は、衆生がもし悪行をしたら、どんな微細な悪行でも必ず罪になる。そして死んでからその報いを受ける。人々の罪報はそれぞれ異なっているので、たとえ親子であっても別々の受報の道に別れて行く。たとえ親子二人が同一の受報の場所にあったとしても、それぞれ自分の報いを受けるしかなく、他人の代りをしてその罪報を受ける余裕はない。しかし、この原則は一般の衆生の業力によるものであり、菩薩がその本誓願力で、三塗悪趣の衆生を救うために、三塗悪趣に入って「代受」する可能性はあるのであり、しかも『地蔵本願経』のいう「度尽衆生、方成仏道」(10)の地蔵本願が存在するのである。また『楞厳経』のいう「如一衆生未成仏、終不於此取泥洹」(11)の阿難誓願が存在する。これらは、いずれも一切の衆生をすべて度脱して成仏を得さしめてから、後に始めて自分が大涅槃に入ると誓ったもので、智旭はこれを「代受」の意味と考えていたと思われる。実は地蔵本願と阿難誓願の本意は、必ずしも「代受衆苦」ではなくて、大悲心によって一切の衆生を救済する菩薩行であるという意味であろう。しかし、智旭はこれを善意的にさらに拡大して解説した。よって彼はさきの表に紹介したように、大菩提心(12)をもって、一切衆生の罪報・道友雪航の罪報・父母両親の罪報・思師の罪報・ないし悪魔眷属の罪報等、あらゆる罪を彼が身代りとして引き受けると誓っている。換言すれば、智旭がその大菩提心にもとづく大誓願を発して、一切衆生・一切怨親の罪報を許し、早々に成仏を得せしめることができるならば、ただ彼一人はたとえ無量数の地獄に入り、