無尽期の苦痛の懲罰を受けてもかまわないと念願している。これは実に宗教家として偉大な心根であるが、仏教の業感縁起の基本理念には背いているので、遂に四十歳以降の智旭は、この贖罪思想をあらためて、専ら地蔵本願と阿難誓願のように変容せざるを得なかったのである。

したがって、智旭の度生悲願あるいは度生方便の変遷を概観すると次のような三段階、すなわち最後解脱、極楽経由、同生極楽の三誓願に分割することができる。

最後解脱の誓願  これについては、五点の資料がある(13)。その五点の資料にみられる三十一歳から四十六歳までの間の智旭は、最後には解脱の立場を念願しているが、まず一切の衆生をみな解脱せしめてみせてもらいたいと語っている。しかし、彼ほ四十七歳以後は、この誓願を変更している。

極楽経由の誓願  これについては、二点の資料が挙げられる。

とある。これは智旭四十七歳と四十八歳の年に著わしたものである。これ以前の智旭は、地蔵菩薩のいう「地獄未空、誓不成仏」の誓願によって、彼自身の誓願とする時代は、自分は解脱しなくても、まず衆生の罪報の身代りとして、無量地獄の苦報を受けに行こうとするのであるが、四十七歳に及んで、その目的を変更して、